Introduction09

 は、暗闇が立ち込める中でもよく目立つ男だった。眩い金色が闇を照らすのではなく、闇すら彼から逃げているのだと、思わせる。
 外灯が煌々と照らす道にゆらりと現れた痩躯はジャケットを羽織っていなかった。スラックスのポケットに片手を突っ込みながらのろのろと、しかし背筋は真っ直ぐに、こちらに歩いて来ている。相変わらず冗談みたいな美しさを惜しげもなく晒し、まるで品性と理性があるかのような顔立ちをして。閑静且つ平穏な住宅街の中で悪目立ちしかしない容貌で、銜えた煙草を細い指で挟み、口から離して煙を吐き出すその何気ない仕草まで計算し尽くされたかのように整然としている。正しく彼は外面が良いというやつで、そういうところが、気持ち悪くて仕方がない。眩い金髪にアイスブルーの瞳を持つその見目は端麗ではあれども、中身は純麗とは程遠いのだ。つまり彼を綺麗などと表するのは正しくない──と、ロート・シュピーネは常々思う。どこを見ているのかわからない、冷めた碧眼がすいとシュピーネを捉えた時、彼が感じたのは嫌悪感に他ならない。笑うどころか眉一つ動かさないは、火の着いた煙草を片手に静かに足を止める。ヒトのように煙草に執着する理由なんて本当は持ち得ないはずなのに、まるで依存でもしているかのように彼はそれを手放さない。薄い唇を開けて、微かに首を傾けた。
「なに。珍しいね。いつものビルで待ってりゃいいのに」
「たまには、散歩も悪くないと思いましてね」
「そう」
 はあからさまに興味の無さそうな相槌を打って、当たり前のように煙草の灰を道路に落とす。深夜三時を回り、静まり返ったここで、彼のマナーの無さを咎める者は誰もいなかった。中心街ならばまだ人の行き交いあっただろうけれど、彼らが立ち止まっているこの舗装された道路を挟むのは、ごくごく一般的な住居ばかりだ。
 の言う「いつものビル」、モノリス・タワーこと諏訪原産業貿易センタービルディンはその中心街に位置している建物の一つだ。ビルの上階の一部はシュピーネが経営権を持つ企業が独占しているそこに、はいつも定められた"報告"のため、シュピーネに会うべく訪れていた。今日シュピーネがそのビルから離れ、の現在の住宅街まで赴いたのは、本当に気まぐれだ。シュピーネが何気なくの歩いてきた方角に目を向ければ、そこには一軒家と並んでありふれた外観のアパートが建っていた。そこは彼にとって、の住処である以上に大きな意味を持つ場所だ。
「首尾は上々のようですね」
「そう見えるか?」
 の銜えた煙草の先が 、ぼうと赤く瞬いた。
「この短期間で随分と手懐けているように見えますが、あなたには違って見えるのですか?」
「どうかな。……いや、あんたがそう見えるって言うなら、そうなんだろ」
「私はあなたの見解が知りたいのですが。報告は義務ですよ、怠けられては困りますね」
 詳細の報告を面倒がって煙に巻こうとする気配を察知したので、すかさず口を挟んでおく。シュピーネは"部下"の怠慢は見逃さない主義だ。の眉間に僅かに皺が寄った。細く白い煙を吐き出して、仕方無さそうにぼそぼそと喋り始める。
「あいつはたぶん、おれが苦手だよ。嫌われても、いないけど」
 シュピーネを見据える瞳は鮮やかな色をしているのに、表情と同様にはっきりとした感情は宿らない。しかし声音にはどこか鬱陶しそうな、気怠さが含まれていた。
「ガキ相手はやりづらいったらない。肉欲にでも訴えかけられるんなら、話は早いが」
「まあ私としては別にそれでも構いませんが、十年間ゾーネンキントの子守をしていてその有様とは、あなたも成長しませんね」
「そうかもね。きみの言う通りだ、ハーマン」
 頷いてはいるがさして興味は無さそうだ。"上司"に対する態度としては頂けないが、そう短くない付き合いの中で彼はこういうものだと諦めがついているので、いちいち目くじらを立てることもない。シュピーネがと深く関わるようになったのは、オデッサ機関に所属し始めた頃からだと記憶している。あの時も、"フレッド・ハーマン"としてのシュピーネであった時も、一貫して二人は上司と部下の関係であった。ただし、通常の上下関係とは少々異なっているのだが。
 は正確には聖槍十三騎士団の" 下僕しもべ"であり、ロート・シュピーネだけの部下ではない。もっと言えば、元は黒円卓の首領にあたるラインハルト・ハイドリヒの私兵だ。本来は現在現世から離れている彼のためだけの 下僕しもべを、今は黒円卓に貸し出しているとも表現できるだろう。そしてもう一つ──彼にはその正体に通ずる、欠陥がある。
「あなたの見解はともかく、私には相当に気を許していると見えますよ。やはりあなたに任せて正解だった。私が与えた任務の達成は、想像よりも遥かに早いかもしれませんね」
 顔色一つ変えないは、目的達成に一歩近付いたことへの高揚を僅かに表に出したシュピーネの視線の先を辿って、ぽつりと零した。
「そう上手くいくと良いが」
「どうも後ろ向きですね。自信が無いのなら、肉欲に訴えかけて頂いても、私は一向に構いませんよ」
「やめとく」
 それが最短であると言ったのは自分だろうに、存外後ろ向きな態度だ。元々そういうところまで見越しての人選だったのだが、彼はまともに拒んできた。
「おや、ついにあなたにも倫理観というものが備わったのですか? それとも、情が湧きましたか? であればこれはこれで、喜ばしいことではないですか。ニック・チョッパーは卒業だ」
 これもまた、シュピーネがという男を利用しながらも嫌悪感を抱く理由の一つ。黒円卓第八位であり魔女、ルサルカ・シュヴェーゲリンによると──はニック・チョッパーなどと揶揄されるくらい、ヒトとして大事な物が欠落している。"自分が取り込んだ魂"の膨大な経験だけで人の心をおおよそ推し量り、彼らが求めているものを察し、倫理や常識を察する。しかしそれは彼自身の倫理観や価値観が正しく機能しているということではなかった。一応感情は備わっているが、彼の思考や行動とは切り離されているも同然。好き嫌い、良い悪いを感じる心はあってもそこに拘りも執着もなく、それが彼の行動の判断基準にはならない。他人に向ける情も、罪悪感も、彼は持ち合わせない。つまり極端に感受性が低く──欲というものがないのだ。自身の損得勘定しない、命令に従うだけの人形のようなもの。黒円卓に並ぶことなく、スワスチカを開き恩恵を受ける権利も与えてもらってはおらず、忠誠心すらないのに、 下僕しもべという立場に何の不満も零さず従うのは、そういうことだ。けれども、シュピーネは思うのだ。何も求めないなど有り得るのか、と。
 はシュピーネのからかうような言い回しを無視し、推測だけを述べた。
「あれが本当にきみたちの捜し人なら、そんなもんで落ちるとも思えないだけだ。必要なのは時間だろう。あれは、そういうタイプだ」
「元よりやり方はあなたに一任していますからね。本気で口を出すつもりはありませんよ」
 適当に二度頷くだけの返事。浅く息をついて、が指からするりと短くなった煙草を落とす。右足でそれを踏む小慣れた仕草も、シュピーネからすると妙な光景だ。
「──それより、再三伝えていますが、このことは」
「わかってる。おれはきみたちの誰にでも従うが、プライバシーは守る」
 安心させるように笑ってみせる気遣いもなく、ただ淡々とは確定事項だけを伝えた。上辺で笑顔を作られるよりも余程信用は出来るが、ましという程度だ。目的が不透明な、ただ従うだけの存在 。相手には利益のない、何の駆け引きもない関係。そんなものは、得体が知れず不気味としか言いようがない。
 普通の部下だって無償で働いているわけではなく、そこには確かな契約がある。利益を提示して、従ってもらう。報酬分の仕事を相手はきちんとこなそうとするし、こちらはその働きに対して金を払うのだ。それは一般的な、一種の信頼の形だろう。その点、この男に絶対的な信を置くことは恐らくない。
「信用は、しなくていい。精々上手く利用してくれ」
 軽くそう告げるを見下ろして、シュピーネは浮かぶ疑問を、飲み込む。
 どこまでも、わかったようなふりをする。その口調は、振る舞いは、一体誰のものなのだろうか──彼、=リヒト・シュヴェーアトという、聖遺物は。十八世紀にギロチンが登場するまでに斬首刑で活躍した、スタンダードな処刑人用の剣。それが彼の本体であり、この美しい顔をした男の中身だ。エイヴィヒカイトを持たずとも、誰にでも扱える聖遺物。長い時を経て溜め込んだ大量の魂を、彼自身の意思で他人に分け与える能力も持つ稀有な存在は人間ではなく、限りなく道具に近いらしい。
 聖遺物の核となる魂を半分に分けるというシュピーネには到底理解し難い芸当で、魂の片割れをこの人間の器に、もう半分を新たな魂を集めるべく戦場へ放った本体へ残し、シュピーネが覚えている限りだともう十年が経とうとしている。本体が手元にない現在の状態はスペック的にはただの人間と同じで、成長もすれば病気にもなる、要は不便な身体だ。それはいい。それはいいのだが、魔女の説明が正しければ。核となる魂があるということは、それはヒトであったということだろう。であれば、何らかの欲や目的があってもおかしくはないはずなのだ。現状そんなものは窺えず、やはりはただの人形に近い道具なのだけれど。シュピーネは用心深く、という男を長年見極めようとし続けて六十年近くになるが、未だに結論が出せずにいる。
 しかし一方で、これに利用価値は確かにあると、ロート・シュピーネは踏んだのだ。信用なんてせずとも、利用することはできる。保険をかけるのに丁度よかった。他の団員はを持て余している者もいるようだが、シュピーネは自分なら上手く利用してやれるという自信もあった。要は適材適所。このあまりにも整った見た目と、中身も欠陥はあれどもするりと躊躇いなく人との距離を詰める才能には、使いどころがきちんとあるのだ。
「引き続き、頼みましたよ、リヒト」
 このなら、下した命令──ツァラトゥストラの籠絡を、きっと果たしてくれるだろう。


(20170217)
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