Introduction07
きちんと話すようになったきっかけは、相手から下駄箱によくわからない物体を仕込まれるなんていう今思い返してもなかなか頭のおかしい流れで、しかもそれがただの嫌がらせではなく、そこに至るまでに遊佐司狼が一枚噛んでいたらしいというのは後になって知った話だ。ともかく、ごく最近、藤井蓮は一つ上の学年の少女──氷室玲愛と顔見知りとなっていた。
やっぱ学校の昼休みと言えば屋上だろ、などというわけのわからない遊佐司狼の突然の提案に、わかる! と意味不明に賛同した綾瀬香純。昼食なんてどこででも食えるだろ派の蓮は四月の終わりかけ、そんな二人に屋上へと連れ出された。渋々付いて行った先で、フェンス際のベンチを陣取ってサンドウィッチを頬張っていた氷室玲愛を見かけたのが、彼が覚えている限りでは最初だったはずだ。繊細で儚げな美しさを持つ容姿に加え、彼女の纏う雰囲気は独特で一見近寄り難く、正しくクールビューティーを体現したような少女であった。一言二言交わしただけではその印象は覆らず、何かがおかしいと気付いたのは、三言目四言目辺りからだろうか。彼女はマイペースを地で突き進み、口数が少ないのかと思えば案外そうでもなく、短く放たれる言葉にはそこそこ毒が混ぜ込まれている確率が高かった。つまるところこれは変人だと、蓮たち三人が氷室玲愛をそう解釈するのはわりと出会ってすぐだったように思う。司狼とは変人同士気が合っていたようだし、香純のあのハイテンションを冷静に受け流しながら同時にからかう技術も持ち合わせていたし、蓮は蓮でそんな変わり者な彼女のことを気が付いたら自然と受け入れていた。 端的に言えば、全員ノリが合ったのだ。 友人の少ない蓮と司狼にはこれが結構珍しいことで、それはあちらにしても同じだったらしい。玲愛もまた、友人が少ない人種だった。仲良くなるべくしてなったと言ってもいいかもしれない。そんな変わった先輩が、ちょっとした顔見知りから友人へとシフトチェンジするまでに、時間は要さなかった。
入学前後に出来た繋がりで、妙に距離感が近い人物はこれで二人目になるのかと、蓮は意外と新しい人間関係を構築している自分に軽く驚いていた。 この学園で香純たち以外に友人を作るモチベーションなど全く無かったし、そんな自身を思い描けなかったから、尚のことだ。直近で顔馴染みになった二人の内の片方は、友人というポジションに置ける人間ではなかったし、その彼との距離感というのも、決して蓮自身が望んで得たものではなかったけれど。
*
氷室玲愛という存在が、蓮の中で日常となりつつあったある日。毎日皆で昼休みを屋上で過ごしていたわけではなく、香純はクラスの友人と行動することも多かったが、偶々四人揃って屋上で昼食という流れになったその日、蓮の言うところの友人ではない方の"もう一人"が姿を現した。何の前触れもなかった。彼は突然屋上にやって来て、周囲の視線を集めながら、しかしそんなものに一切気を割かない。 太陽の光を受けた金の髪はきらきらと輝いてより美しく見えたが、その黄色人種では有り得ない白さの肌のせいか、背の高さのわりに細い身体のせいか、どこか不健康に映る彼は太陽の下が全く似合っていない。それは玲愛にしても同じことだけども。
は何の迷いもなく、玲愛と香純の腰掛けるベンチの前までやって来て、腕組みをしながら立ち止まった。彼女たちのすぐ後ろのフェンスに二人して背を預けるように立っていた司狼と蓮は、気怠げに少女二人を見下ろすの視界に入っていない。
「? あんたもここで昼飯か?」
最初に声をかけたのは、司狼だ。視線だけが持ち上がり、無感情なアイスブルーの瞳が蓮と司狼を静かに射抜く。表情のないただ美しいだけの人形と向かい合っているような、気味の悪さ。彼に時折感じるのはそういうもので、視線一つで人に威圧を与えていることに本人が気付いているのか、定かではない。蓮の隣の友人は、そんなものを気にする男ではないので、平然としていたが。
「こら司狼、先生、でしょ!」
「でもよバカスミ、おまえが思ってるよりまともに先生してねえぞ、このヒト」
「司狼ぉ!! あんた色々失礼極まってるからね! あたしにも!」
「おれはいい。ただし遊佐、場所は選べ」
「りょーかいしましたよ、センセ」
どこからつっこめばいいんだと蓮は思わないでもなかったが、きっとこの場においては何も言わないのが正解なのだろうとの答えを自力で導き出す。どうしたって、絡んだ瞬間面倒臭い展開になるのが見えていた。
ふ、との口の端が僅かに緩い弧を描いた時、蓮は何故か彼としっかりと目が合う。しまったと、思った。日本人では有り得ない派手な顔立ちで、そもそもヒトであるのかも疑わしいくらいに整っていると来たら、周囲が騒ぐのもわからないでもない。講師なんてやっているのが不思議なくらいだろう。しかし蓮はこの男の容姿を含め、緊張を生む視線や、人を食ったような態度や、結構自分勝手なところや──それでも拒み切れないところが、まだどうも苦手だった。妙に絡まれるのが、また厄介というもので。
「すぐに戻ってやるからそんなに嫌そうな顔をするな、藤井」
「いやしてませんよ」
「センセー、蓮くんが面倒くさいから話しかけんなって顔してまーす」
「してねえよ」
「藤井の美点はな、案外素直なところだとおれは思うよ」
「お、気が合うね、先生」
「おまえら結託すんのやめてくれ」
二倍疲れるから。という付け足しはされずに終わった。香純はともかく、今ここで嬉々として玲愛が加わってきた暁には、対応が格段に面倒になりそうだ。彼女もどちらかと言えば、゛そちら側゛だろう。静観決め込んでいた玲愛が、狙いすましたようなタイミングで、口を開いた。、と当たり前のように彼女もまた教師を呼び捨にし、どこか咎めるような響きで彼の意識を自分に向かせていた
「藤井君いじめていいのは私と遊佐君だけだよ」
「なんの主張なんですかそれ」
助けてくれようとしているのか引き続きからかいたいのか判別の難しい割り込み方をしてきた。蓮のつっこみは黙殺し、ペットボトルのお茶を一口飲むと、淡々と彼女は言葉を継ぐ。
「ていうかキミ、私に用があったんでしょ」
「正解。用件はわかってるだろ」
「うん。取り立てに来たんだよね。耳を揃えて払いたいのは山々なんだけど、今は持ち合わせがないから……まあそうだね、今日のところは身体で払うってことでいいかな」
「か、身体ぁ……?!」
何故か自分たちにだけ聞こえるように声を潜めた玲愛とは対照的に、大袈裟に声のボリュームを上げたのは、香純だった。二人を交互に見て、口をぱくぱくさせている。香純のよく通る声は食事中の周りの生徒たちの注目を集め、彼女は慌てて口を押さえた。玲愛は何事もなかったかのように、やはりこの四人にだけ聞き取れる声量で、わざとらしく照れたような声を作って。
「放課後いつもの場所で待ってるね」
「玲愛さん……?」
「本当は嫌だけど、生徒は逆らえないものね」
「これって、つまり、せ、先生と、玲愛さんが……」
ここまで素直な反応を貰えれば、本人はさぞかし満足なことだろう。下手な芝居を一人続ける玲愛と、その隣で面白いくらい動揺しまくる香純という構図を見つめるは渦中の人のはずなのに、微かに笑んだまま、他人事のように黙り込んでいる。玲愛の茶番にも一切付き合わなかったけれど、やがてふうんと適当な相槌を打ったのち、彼は柔らかい声音で短く言った。
「可愛い後輩を持ったな」
「いいでしょう。あっちの二人はそこらへん可愛げに欠けるけど。ねえ藤井君、私としてはちょっと嫉妬とかしてくれちゃった方がポイント上がったよ」
「何のポイントですか」
「私の口から言わせるの?」
「いや言いたくないならいいんですけど」
「言わせないの?」
「言いたいんですか言いたくないんですか」
「複雑な乙女心。わかって」
「俺男なんでわかりません」
肩から上だけをこちらに向けた彼女はいかにも恥ずかしそうなジェスチャーと表情をしていた。電波な振りは返しに困る。少し視線をずらせば、香純がまだ固まっていた。
「まあ大概流せる蓮はともかく、そこのバカは単純且つ純情なもんで、その手のジョークは用法用量守って正しく使ってやらねえと、ご覧の有様なんだわ。そこんとこ覚えといてくれ、お二人さん」
「そうみたいね」
「おれは何も言ってない」
「オレは何も言わねえあんたが一番タチ悪ぃと思うぜ」
なんて、気を利かせたような科白を吐く司狼だって香純に大して気を遣った試しはない。硬直する香純に、全部冗談だよと玲愛が伝えた途端、香純は「なんですかそれぇ……」と全身から力を抜き、ぐったりと玲愛に寄りかかっていた。あの数十秒で余程不健全な妄想が捗ったらしい。は変わらず何のフォローも入れるつもりはないようだった。腕時計で時間を確認しながら、今思い出したように。
「それで氷室、英語の課題のことだ」
「やっぱりその話」
「取り立てってそっちかよ」
「提出期限過ぎたらが直々に取り立てに来るの。期限昨日だし今日英語無いし、きっと来るって予測済み」
「玲愛さん、課題とかきちんと出す人だと思ってました」
「出す人よ。英語以外は」
「あんた実は嫌われてんじゃねえの?」
「そうらしい」
司狼のからかい混じりの問いかけに、は穏やかに頷く。その間も、彼の瞳は玲愛だけを映していた。
「課題自体は終わってる」
「で、家にあるんだな」
「当たり。取りに来て。今日」
「今日は無理だ。明日にしろ」
「それでいい。夕食一人分増やしておくようにリザに伝えとくから。土曜だし泊まっていくよね」
「おまえがそうしろって言うなら」
「そうして」
「わかった」
そこまでの流れがあまりにもスムーズで、二人の間には何の齟齬もなさそうで、蓮を含む幼馴染三人は、二人の会話の中の"異常"を認識するのが少し遅れた。誰かが口を挟めるような隙もなかった。何かを隠そうとするような雰囲気はもちろん、いやらしさもない。けれども、そこで交わされたのは確かに普通の教師と生徒なら有り得ない会話であった。
「次は妙な小細工せずに、普通に誘えよ」
「普通に誘っても断られるから、小細工してるんだよ」
「そうだったか?」
「そうよ」
「そうか」
目を細めて玲愛に笑いかけるは、いつもと何かが違っている。二人の親密そうな関係の実態は不透明だが、それが男女のものではないということは、蓮にも漠然とわかった。敢えて名付けるなら、彼女たちのそれは兄妹に近い空気感。幼馴染という関係である蓮たち三人にも、通じるものだ。
邪魔した、と一言だけ言い置いて、目的を果たしたは躊躇いなくこの場を後にした。下手したら誤解を生みかねない会話を繰り広げた後だというのに、悪びれもせずやはり何の説明もなく。の姿がすっかり見えなくなってから、玲愛が三人の疑問に答えた。
「親戚。昔一緒に住んでたの」
そんなこったろうと思ったよ、と隣の司狼が苦笑と共に呟く。玲愛の祖父がドイツ人であり彼女が所謂クォーターであること、そしてが名前からしてドイツ人であることを鑑みるだけでも、おのずと可能性は絞られる。とりあえずマイペースさという点においては、わりと共通していると言っていいだろう。玲愛といる時に、と対した時のような不気味さを感じたことはないけれど。
知らず血の繋がりがあったらしい二人と別々に知り合い、よく話すようになったというのは、運命めいた偶然だとらしくないことを蓮は考えた。あるいは、この血縁と相性がいいと捉える方が、正解に近いかもしれない。
「それであんなに仲良さそうだったんですね。言われてみると、先生と玲愛さん、似てるかも」
「そうかな。初めて言われた。そこまで近い血縁じゃないし。でも、そう言われるのは……まあ、あんまり悪い気分じゃない」
そう話す玲愛がどんな表情をしているのか、蓮の位置から覗えない。ただその声はいつも通り淡白なようでいてどことなく嬉しげで、そこに彼女から彼への親愛が垣間見えた気がした。