「おい朝飯の時間だ。起きてんだろ。早く準備して出て来い。だらだらして俺を待たせんじゃねえよ。返事しろ。潰されたいのか?」
龍園翔は、自分が支配者側の人間であるという自負があった。そういう才能があって、それを活かした生き方をしてきた。愚鈍で他者の言うことに従うしか能がない連中と自分は違うのだと。自分が右へ向けと言えばその他大勢は右へ向くべきだし、自分が白だと主張すれば黒も白になる。今はそうでなくとも、いずれ必ずそうなるだろう。現に龍園の所属する高度育成高等学校Cクラスは、彼の思い通りの形になりつつあった。クラスのヒエラルキーの頂点に君臨するのは他でもない龍園翔その人であり、入学三ヶ月にして彼の頭の良さと狡猾さを思い知ったCクラスの面々は、誰も逆らわなくなった。それは龍園にとって何らおかしいところのない、本来あるべき力関係。だから早朝から同じクラスメイトの人間が滞在している部屋の扉を拳で叩いて強引に中の人間を起こそうとしたって、何ら咎められる謂れはない。幸い豪華客船の長い廊下にはこれから朝食を取りにカフェへ向かおうとする生徒がまばらにいるだけだ。彼らの注目をどんなに集めようと、教師に注意を受けなければそれでいい。
だからさあ早く出てこいと、龍園は扉を叩き続ける。龍園翔が来いと言ったら四の五の言わずに付いて来るのがCクラスのあるべき姿だ。彼の背後で不満げに佇む伊吹澪のように。
「おまえ借金取りに向いてるよ」
けれども龍園がわざわざ部屋まで足を運んで呼びに来たクラスメイト──
は"Cクラスのあるべき姿"にやや当て嵌まらない男だった。勉強運動共に並を優に超える成績を残し、容姿も優れているときているのに、彼は何故かCクラスで、人の人望を集め頂点に立つ支配者に回るどころかただぼんやりと浮いた存在となっている。能力順で振り分けられた自身のクラスに不満を持ち、Dクラスの堀北鈴音くらい上を目指そうと足掻くなら可愛げもあるというものだが、
はそんなものに興味は無さそうだ。
扉を少し開くなり気怠げに龍園を借金取りと称した
は、既に制服に着替え終わっていた。伊吹と同じくらい線は細いが背はすらりと高い。黒い前髪の間から見え隠れする切れ長の目はまだ眠そうに細まっている。彼の背後では、ハーフの山田アルベルトが体格の良い身体に制服を通そうとしていた。
「悪い龍園、朝飯ならもう食った」
「知るかよ。つうかおまえ、昨日は朝飯食わない主義だって言ってたよな」
「言ったかな」
「おいアルベルト、こいつは今朝この部屋から出たのか?」
彼は無言で首を横に振った。
は後ろを振り返らなかったが、龍園の表情でルームメイトの返答を察したようだ。
「友達甲斐のない奴だよね」
「それはおまえがあいつを友人だなんて思ってねえからだろうよ」
友情を築こうともせず、支配しようともしないのだから当然の流れだろう。力関係は明白だ。
「まあそんなことはどっちだっていい。わかってんだろ。俺が来いって言ったら、来るんだよ」
ゆっくりと言葉を切ってそう告げてやると、
はちらりと龍園の後ろで立ち尽くす伊吹に視線を送りながら、はいはいと呟きのろのろと廊下に出てきた。面倒臭さを一切包み隠さない態度は入学時から龍園が彼を気に入る理由の一つだ。
どう文句を言おうと、わかりやすい嘘を吐こうと、結局
も最後には龍園に従っている。それは確かにCクラスらしいと言えるところだけれど、そもそも龍園に面と向かってぶつくさと文句をぶつけるという行為自体がCクラスでは異色なのだ。あくまでただのぼやきを出ない範疇で、そこから空気を悪くするでもなく、別段反抗とまで言われるような言動もない。加えて
の文句には、嫌悪や敵意の類の感情が無かった。ただ
は、龍園翔を恐れないだけだ。Cクラスの支配者は圧倒的に龍園であるはずなのに、
も彼に従う一人であるはずなのに、恐怖で支配出来ていないせいで龍園はどうも
を御しているという実感が持てないでいる。御せていないのには、別の要因もあるのだが。
「厄介なクラスメイトにお互い苦労するな、伊吹」
「…………」
こんな軽口を叩いてくるのも、Cクラス内では彼だけだ。一方の伊吹は眉間に皺を寄せただけで何も言わなかった。彼女は彼女で、
の相手をするのが面倒なのだろう。そんな伊吹を横目に、
は表情を作ることなく、しかし感心したような声音で言う。
「主人の悪口には黙殺か。躾が行き届いてる」
「喧嘩売ってるわけ。買うけど」
相手をするのが億劫でも、煽られ耐性はない伊吹だった。
「噛みつき癖は治らないな」
「あんたもほんっとむかつく男ね」
「龍園ほどじゃないだろう」
「良い勝負よ」
「心外だ」
「名誉に思うところだぜ」
「不名誉でしかない」
うんざりしたような言い回しをしていても、その顔は涼しげだ。伊吹にきつく睨まれても
は平然としていて、どこ吹く風である。彼女はそんな彼に尚更腹が立つようだが、現状一矢報いる方法もなく出来ることは嫌悪を露わにするくらいだった。
が積極的にからかうのは伊吹だけだと知ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
龍園としては二人の仲の良し悪しに興味はないつもりだし喧嘩も勝手にやってろというスタンスだけれど、自分抜きで勝手にいちゃつかれるのもどうにも面白くないというやつで。一つ伊吹の側に回ったことにして、自身の言葉で
の顔色を変えてやることにする。
「やられっ放しも可哀想だからな。一つ良いことを教えてやるよ、伊吹」
「良いこと? なによそれ」
「こいつはおまえ以上に躾られて、調教されてやがんのさ。だから本当は人のことなんて言えねえんだよ」
「──龍園」
「ま、今はまだその飼い主は俺じゃないから、あまり面白くないってもんだがな」
の顔がだるそうに歪むのと比例して、龍園の口角が意地悪く釣り上がる。
の色素の薄い茶の瞳は口を開かずして余計なことを言うなと語っている。伊吹は龍園の話がまだ上手く飲み込めていないようで、ぱちぱちと目を瞬かせて
を見ていた。
「爽やかな朝に出す話題は選べよ」
「おまえの心掛け次第だな」
「生憎と宗旨替えの予定はないんだ」
「先のことはわかんねえだろ」
くく、と龍園が喉の奥で笑った。
が使える男であることは間違いない。これでもっとアクティブ且つ社交的であれば、クラスをまとめ上げるという点において厄介な相手だったかもしれなかった。が、
と三ヶ月を過ごしてわかったのは、彼が支配される側ということ。だから主体的ではなく、勝ちを狙いに行きもしない。そしてそんな彼を支配するのはクラスメイトの龍園ではなく──この学校の誰か、らしい。
「安心しろ、おまえの飼い主は必ず俺が捜し出して、潰してやるよ」
の最大の失敗は、自分が憧れ従う"誰か"がこの学校に在籍していて、その誰かを追ってここへ来たのだと龍園に教えてしまったことで、益々面白いと龍園に思わせてしまったことだろう。Cクラスの支配者は龍園翔で、どういう経緯であれCクラスに属している限り、
もこの龍園の思い通りになって然るべきだと彼は思うのだ。
が自分の遥か上の存在として"飼い主"を見ている状況が楽しいわけがないのだ。恐怖がだめなら、恐怖以外のもので自分が上だとゆっくり教え込んでやるしかないと、そう考えるようになっていたのがいつからなのかは、よく覚えていない。
「行くぞ」
僅かに
の顔色が変わったのを確認して満足した龍園は、くるりと
に背を向けた。緩慢な動作ながらも隣に
が並び、その少し後ろを伊吹が歩く。Cクラスでは日常となりつつある光景だった。
人生の質は、日常に感じる感情の質である
アンソニー・ロビンス