プレゼントを渡しに
修智館学院学生寮は、男女共に同じ建物で生活している。男子は二階、女子は三階と区切られており、男子は許可無く女子スペースへ立ち入ることは出来ない仕組みだ。男子が女子スペースに居るところを寮監であるシスター天池に見つかればフライパンで殴られる――というのは寮生の間では有名な話だった。しかし、逆に女子が男子スペースへ行くことは意外にも黙認されている。当然、男子の部屋に宿泊することなどがあれば教育的指導を受けることになるが、ただ遊びに行くだけなら特に問題は無い。例えば、私のように誕生日プレゼントを渡しに行く、とか。
目的の部屋のドアに控えめなノックを数度すると、やや間があった後に千堂伊織先輩がドアを開いて顔を覗かせた。シンプルな部屋着姿なのに、全体的に見ると地味な印象を全く受けない辺りがこの人のすごいところだ。それくらい容姿と雰囲気が華やかだった。
「珍しいお客さんだ」
いつもの見慣れた笑顔なのに、少しだけ緊張する。とりあえず入りなよ、と促されるまま玄関に入ると、ぱたんと扉が閉まった。玄関で立ち尽くしている私に「急ぎの用かな?」と彼は首を傾げるだけで、部屋に上がらせる気はないようだ。別に上がる気も無かったけど。
小さく深呼吸してから、「お誕生日おめでとうございます!」と少々乱暴に告げて綺麗にラッピングされた小さな箱を押し付けるように渡せば、彼は感心したように掌に載せたそれ――私から先輩への誕生日プレゼント――を見下ろした。私は緊張した面持ちで、彼が箱を手で弄び始める様子をじっと見つめる。同時に、何故昼間に渡さなかったのだろうと反省していた。人前では渡しづらかったというのが第一なのだけれど、それにしてもちょっと躊躇し過ぎたような気がする。決して、行く先々で女子からプレゼントを渡され一人では到底持ち帰れない量があるそれらを一時的に監督生棟の一室に保管する先輩を見ていたら腹が立って渡したくなくなった……とかではない。決して。とにかく、こうしてプレゼントを渡すのが夜になってしまったことは反省しよう。黙認されているとはいえ、男子スペースを一人でうろうろするのは落ち着かないし、先生に見つかったらいい顔をされないだろう。不意にこちらに視線を投げた先輩は、やや呆れたように呟いた。
「毎年毎年、律儀だねえ」
「別に律儀なのは私だけではないでしょう。同学年の人からは毎年貰っているんじゃないですか?」
あくまで事実を述べただけであり、特にそれ以外の意図は無かったのだが先輩は何か納得したようにへえ、と零す。何かいらない誤解をしている、と直感したのとその直感が大当たりであることを知るのはほぼ同時だった。
「妬いてくれてるわけだ」
「迷惑なら返して頂いて構いません」
「そうすぐ怒るなよ、迷惑なわけ無いだろ。から貰えるものなら俺は何だって喜んで受け取るよ?」
「はいはいそういうの結構ですから…」
にっこり笑ってウインクしてきた先輩の台詞を適当に流し、息をつく。つれないなあ、というぼやきも聞き流しておくことにしよう。
「開けるのは、私が帰ってからにして欲しいです」
「よし、が帰ったら一人嬉しさを噛み締めながら開封することにしよう」
「普通に開けて下さい」
大したものではありませんから期待しないで下さいね、と付け足しておく。中身はネックレスなのだが、ここで言うのは止めておこうと思う。がっかりされても嫌だし。気に入ってもらえる自信が無いし。先輩とは付き合いの長さだけはそれなりになるのに、未だに好きなものとかよく分からない。百年単位で生きてると欲しいものなんて粗方手に入れてしまっているような気もするけど。私の心情を読み取ったかのように、先輩は言う。
「お前のセンスは悪くないと俺は思うよ」
「上から目線のフォローをありがとうございます」
「そりゃ実際年上だからね。百歳くらい」
そう言った彼はおよそ百歳超えとは思えないほどの綺麗な顔で微笑んだ。そうでしたね、と曖昧に笑って返す。 先輩は、本当はこうやって誕生日を祝われることに特に何の感慨も抱かないのだろうと思う。百年以上生きていればそうなってもおかしくないのだろう。それでも私が彼を祝いたいと思ってしまうのは、一種の習慣だ。大切な人の誕生日を祝うという、単純な習慣。
先輩の年齢を普段から特別意識することはない。意識させないような振る舞いを彼がしているのかもしれない。ビジュアルもそうだけど、性格や人柄含めそれだけの時を生きてきたように見えないのだ。先輩の母親である千堂伽耶様は、二百年以上生きていて、実際それが納得出来る雰囲気を持っているのに。
ふと眉を顰めた先輩は、それよりも、と話を切り出した。それまでとは違い、穏やかな空気がやや固いものとなる。これは、征一郎に説教される直前の空気に似ていた。
「俺の為に態々ここまで来てくれたことには感謝するけど、消灯時間直前に来るのはあまり感心しないな」
ごく真面目な顔でそんなことを言われる。そこで、私は自分の腕時計に視線を落とす。時刻は夜十時四十分を回ったところだった。先輩なら起きてると思ったんだけど、さすがにこの時間に訪問するのはまずかったのか。
「あ、もうそんな時間でしたね。すみません、先輩の就寝時間を考えていませんでした」
「そうじゃなくて……まあ今日はいいけど。ああ、誕生日プレゼントが添い寝付きなら話は別だよ」
「帰ります」
即座に踵を返し、部屋を出ようとドアレバーに右手をかける。瞬間、背後から伸びてきた手がその右手にそっと重なった。一瞬で身体が硬直する。すぐ後ろ、ごくごく近距離に彼の気配を感じる。近い。近過ぎる。振り向けないので実際のところは分からないが、互いの距離が十センチも無いような気がした。これが幼少の頃からの知人で無ければ速攻セクハラか痴漢で悲鳴を上げているところだ。ああ今これ絶対脈拍がとんでもないことになっているな。そんな確信があった。
「送って行くよ」
「や、その、階段上がるだけですし」
「いいから」
そうどこか強めに言った先輩の声が耳元で響き、擽ったくなる。こそばゆい感覚に思わず奥歯を噛むと、彼は追い討ちをかけるように続けた。
「送らせて」
じゃないと帰さないよ、と言葉継いだ彼を思い切り睨みたいが振り向けない。完全に分かってやっているだろうこの人は。また遊ばれているのか…。もう今のこの緊張しかしない状況を脱することが出来るのなら何でもいいと思いつつ、投げやりに了承の返事をする。彼は私の手ごとドアレバーを下げた。ドアが開いてすぐ、逃げるように手を振り払って距離を取りながら先輩を振り返る。もっと早く手を払い落とすことが出来た筈なのに、動揺でそれすら忘れていた。失態だ。睨んで見せれば、先輩はやれやれというように苦笑する。
「階段はあっちだよ。取って食ったりしないから、ほらおいで」
「私の半径三メートル以内に近付かないで下さい」
「せめて三センチに妥協して欲しいな」
「それ逆に近過ぎますからね」
と文句を言いつつも私は大人しく先輩に送られるしかない運命だ。セクハラはともかく、結局のところ心配してくれたのだろうし、その厚意を無駄には出来ない。誕生日プレゼントを渡しに来ただけなのに、とんだ手間をかけさせてしまったなあ。再び反省。でも、私を部屋に送った帰り際に「ありがとう」と言ってきた伊織先輩はとても満足そうだったので、とりあえずプレゼントを渡しに行ったこと自体は良かったと思うことにする。あの笑顔が見られて、良かった。