Introduction08

 それから。ぽつぽつと、この世界、この時代の話をした。カール・クラフトは、聞けば大抵のことには答えてくれる。彼という神自身の話には、あえて触れなかった。世界は違ってもやはり男は神様で、その全てを好奇心で簡単に訊ねること自体、失礼に思えたからだ。
 意外に順応が早い人間だという自覚が、にはあった。やりとりを重ねていく内、徐々に肩に入っていた力は抜けていったし、彼にどう接するべきか、どう接するのを求められているからは、恐らく敢えて使わせてくれているであろうテレパスの力も手伝って、だいたいは把握した。
 だから先程まで手をつけるのを躊躇していたティーカップに今は安々と手を伸ばして、角砂糖をどんどん投入していくくらいの余裕もある。砂糖とミルクいります? とその場の流れで確認し、どちらでもと返されて初めて、神様に砂糖とミルクをすすめてしまった事実に言いようのない違和感を覚えたくらいだ。君の好きなように、と言われたので、角砂糖は四個とミルクを多めに入れておいた。味覚を共有することは、親密度を上げるための手段の一つである。甘党じゃなかったらどうしよう。
「結局、神たるあなたにも、私がここにいる理由はわからないんですよね」
 値の張りそうなスプーンでカップの中身をぐるぐるとかき混ぜつつ、口にしたのはそんな根本的な疑問だった。という存在のカテゴリーに名前が付き、自身のこの世界における扱いはほぼ理解出来ているつもりだ。ただしそこに、彼女がこの世界に"発生"した理由は含まれていない。科学の進歩も遅いどころか、テレパスもない旧世界。その主たるカール・クラフトはを客人であると称したものの、つまるところ客は客でも招かれざる客だろう。本来カールにとって想定外且つ傍迷惑な異邦人。彼女に対して彼が破格の待遇を用意してくれたのは単に運が良かったと言っていいくらいだ。
「──君は、ユーベルメンシュ、という言葉を聞いたことはないかな」
 甘ったるいであろう紅茶を口にするカールを物珍しそうに観察しながら、はその単語を脳内で反芻してみた。語感的にはドイツ語といったところだろうが、その意味までは情報がない。かぶりを振れば、彼は柔らかく、掴みどころのない微笑みを湛える。
「有り体に言えば、超人だよ。ある男が、人類の進化を予言した。脳と肉体がより高度に進化した、人類を超越した人類だ。それは最早、ヒトと呼ぶのも烏滸がましかろうな。自己も世界も意のままに操る、全く新しい種族。これを、"彼"はユーベルメンシュと呼んだ」
「カールさん……さま? は」
「畏まらずとも構わんよ、客人」
「ええと、カールさん、は。つまり私がその、ユーベルメンシュであると?」
「あくまで、可能性の提示に過ぎんがね。君は、その能力を当然のものとして行使し、それを使えぬ我々を未知であると認識している」
 そうですね、と頷いてみる。テレパスという能力は、何ら特別なものではない。心を読むという行為は、の元いた世界では、二本足で歩くのと同じくらい自然に行われることだ。
「この先の世界の全人類がそれを持つというのが真実であるなら、それは何よりの証明と言えよう。本来の超人思想や予言者の想定からは大きく外れるだろうが、我々から見れば君たちの世界と、その細胞は、確かに進化を遂げている。そしてその異能ならば、私の関知できぬところから未知を生じさせることも容易く可能にするだろう。例えば、遠い過去の世界に移動する、といったような」
 そんな大それた能力は聞いたことがないし、さすがにそこまでいくとテレパスより規模が大きくなり過ぎてそれこそ新人類扱いされそうなものだが。返答に困るを涼しげな顔で眺めて、カールは更に紅茶を喉に通していた。意外と気に入っているのだろうか。
「それすら推測の域を一歩も出てはおらぬ。どだい私の力の及ばない遠い彼方の話であるからね。興味は尽きぬが、嘆かわしいことに確かめる術の持ち合わせがない。不徳の致すところ、とでも言うべきか」
「あなたでわからないということは、元の世界に帰して頂くことも出来ないと」
 運が良かった、とが感じたのは本当だ。テレパスを使っても、彼に疎ましく思われているという風でもない。けれども、これは不幸中の幸いだとも思うから。この世界に憧れていた。世界の主の物語に、焦がれていた。しかしそれは、自分が暮らした世界を捨ててまで得たいものでは、なかったのだ。
「そう懇願するような目を向けられたところで、無い袖は振れぬよ」
 一刀両断。変に濁されるよりも、余程親切ではあったかもしれないが。どちらにせよ、がっくりと肩を落とす結末に変わりはない。ソーサーにカップを戻したカールが、ゆるりと言葉を継ぐ。
「あるいは、いずれ訪れるであろうこの世界の終末まで君が君として生き抜くことが出来たとしたら。世界と世界の狭間は、君の望む場所へと繋げてくれることもあるかもしれぬがね。あぁそういえば、君にとって世界の結末は既知であったかな。ならば、機会は捉えやすかろう」
 こうも簡単に言ってのけられると、出来るような気がしてしまうが、実際には難解な作業だろう。何しろ、どこが結末かなんてわからない。それが永劫回帰される結末なのか、新たな世界へと導くものなのか、なんて。
「前に少し話した通り、あなた方の戦いは確かに歴史として記されています。でも、戦いの結末は諸説あるんですよ。所謂解釈違いってやつですね。現代を生きる人類に、旧世界を直接知るものはいないので、当然と言えばそうなんですけど。どの説が本物かなんて、私は知る由もありません」
「ではどれが本物であったか──君が観測するといい。その目で見たものが、全ての真実となり得る」
 そういう話ではないのだが。そもそもそれはまるで──と、喉まで出かかった単語を呑み込んだ。その替わりのように、開いた口からは、規模の小さい感想が零れ落ちる。
「そう言われたら、ちょっとわくわくが無くもないです。と言うか、楽しいということにしよう。うん。ありがとうございます、神様」
 無宗教だが手を合わせて拝みたいくらいだ。だいぶ軽いノリではあるけれど、重くしたところで状況が一変することはないのだから、きっとこれでいい。元が好奇心も探究心も強い少女だ。家族や友人の元へ帰れないことへの不安は膨れ上がっているのも本当だけれど、この世界を見て回りたい欲求があるのもまた本当だった。神様か、とカールがなにやらおかしそうに、皮肉げに笑んで零す。
「君は、そも神を信仰するような性質ではなかろう。私に向けるその可愛らしい憧憬も、信仰のような愚直さとは些か様相が異なるどころか、真逆とさえ見える。神に祈りを捧げ、その存在を慰めや支えとする人種とは相容れず、理解こそすれ、そちら側へ立とうなどとは、露ほどにも考えてはおるまい。では──私の何が、君をそこまで惹いたのか」
 良ければ聞かせてくれないか、と彼は言う。自身の正体を知るはずのから向けられる感情には、極大のプラスしかないと受け取ったからこそ。愛でもなく恋でもなく、祈るわけでもなければ一体それは何なのかと、問うている。テレパスで読み取れる範疇だ。答えはそんなに複雑怪奇なものではないのだが、さてどう言えば伝わるのかとは頭をひねる。
「まず、お察しの通り宗教はやらない主義です。神様の存在は信じてますが、祈る相手ではないと思ってます。や、失礼な話なんですけど。すみません」
 そんな前置きに謝罪を加えてみたが、実際彼はこの程度のことで気分を害したりはしないはずで、要は気持ちの問題だ。先を促すような視線に、一度頷く。
「宗教を日常にする方々の言うところの神を信じるとは、意味合いが違うんですよね。私にとってのあなたは、神秘です。おとぎ話に出てくる英雄と同じ」
 もちろん英雄とはジャンルが違うことも承知しているけれど、昔、考古学者である父親から読み聞かせてもらった話の中の第四天は、幼いの中で確かにヒーローのようなものだったのだ。本来そういう憧れを集めるのは、第五天や第七天なのかもしれないが。
「小さい頃から、あなた方の話を子守唄代わりに聞いていました。あなたの軌跡、あなたの想い。もちろん伝承ですから、真実とはずれがあるんでしょうけど」
 強い渇望と、その理由。そういうものに、が一番ロマンを感じたのが、カール・クラフト=メルクリウスという神だった。
「素敵だと思ったんです、あなたの行動の起因が、恋であること」
「────」
「望む結末以外は認めず、絶対に諦めないという、その姿勢」
 一般人が思い描く恋とは当然違うだろう。シンプルとはきっと程遠く、複雑に事情が絡み合っているのだから。諦めない、と一言で言っても、そのレベルだっての世界のどんなものとも比べものにならない。きっと比較しようとすることすら間違っている。膨大な時を生き永らえ、苦しんで、繰り返して、それでも尚、成し遂げた。たったひとりのために、恋をした相手のために、カールは諦めなかったのだ。だから憧れた。ロマンチックだなんて、あまりにも陳腐な言い方だと今になって思う。自分のそれは、どうしたって彼から見れば軽くなる。どうしようもないし、今更饒舌にもなれないのが口惜しい。こういう時こそ相手にテレパスがあればと思わずにはいられないが、今はそこに嘆いている場合ではなくて。
「知識の上、ですけど。知った風な口をきくなと、思われるかもしれませんけど。私はそういう 神様あなたを知って、憧れました。だから、 神様あなたに敬意を抱いているんです」
  カール・クラフトメルクリウスを知っているから、敬っているのだと、心からの気持ちを再び言葉にして伝えた。浅いと思われたかもしれない。今度こそ気分を害したかもしれない。軽く見ているわけでは決してないけれど、そのように捉えられたかもしれず。
「実際のカールさんがどんな人だったかなんて、私にはわかりません。今もそうです。あなたから見たら、勝手に夢を見ている可哀想な子供です、たぶん。ただ、覚えておいて欲しいんです。思っていた人と違ったとしても、あなたが"どんなこと"をしていても。この憧れは、消えないと思います」
 全ては歴史。既に起こってしまったこと。この世界の誰がどんな悪逆非道なことを行っていたとしても、そこに感情移入をして非難することはないし、そんなことをしたら失礼だと考えるから。ヴィルヘルム・エーレンブルグの時のような、自分がまたああいう事件の最中に立つことがあったとしたら、何かしら思うところが出てくるのかもしれないが。あのような真似も、本来この世界においては良くないのだろうと心中で自分を戒めておく。
「成る程、存外陳腐な理由だ。座につく者でありながら、一人の少女に恋した男。そのたった一人のために用意した歌劇を繰り返し、終わらない既知の中で望む結末を求める姿はそうか、そのように映るか。私だけを切り取って見るのであれば、女子供が好むような甘美さはなく、派手な舞踏を披露する役者でもない。娯楽としては些か地味に思えるがね。それを君は大層気に入ったと」
 気に入った、などとそんな言い方をされると、はいと頷くのはかなり気が引ける。くく、と可笑しそうに喉で笑う彼に、は何を返せばいいのか考えあぐねていた。カップを両手で持つ手に、不必要に力が入る。
「神の信仰などとは、とても呼べたものではなかったな。あぁ勘違いしないで欲しい、君を否定したいわけではないよ。君が私をここまで肯定すると言うのだから、私もまたそのように返さねばならんと思ったのだ。それが礼儀だろう。故に」
 ひとしきり笑い終えたらしいカールの黒に近い深い青の瞳の奥には、こちらを物珍しそうにするような、好奇の色が宿っていた。
「今一度、この世界は君を歓迎しよう。お客人──否、
 そう、ここにきて初めての名前を口にして。再びティーカップを手に取り、少しだけ紅茶の残ったそれを、カールは飲み干した。認めてやる、と。だから元の世界に帰ることができるその日まで、君もまた足掻くと良いと、示すように。


(20170929)
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