偽物と下僕

 ヴァレリア・トリファが二人の部下を率いて深夜の博物館を訪れた理由は、二つある。
 一つは、副首領の代理が操るとされる聖遺物、及び第一のスワスチカの完成を見届けること。今宵において、トリファの主な仕事は結果の確認である。長い長い時間と手間をかけて、彼はこれまで大きな舞台の下準備を整えてきた。多少のイレギュラーと、軌道修正を必要とした時もあったが、大局的に見れば概ね予定通りに事が進んだと言えるだろう。今日の結果回収も、その準備の一環のようなものだ。
 館内に立ち入ってから、トリファがしたことと言えば生かしておく価値がないと判じた守衛の息の根を止めたことと、一本電話を入れたくらいである。彼の連れの片割れは、当初その守衛の意識を奪う程度に留めたけれど、トリファは結局それ以上を奪った。「あなたも本心では暴れたくて仕方がないようですから」という彼女の指摘は、何ら間違っていないと、彼を自嘲させた。
 その連れの一人がこの場を離れる気配を背に、先程シャンバラに到着したばかりの男と携帯電話を通じて状況の確認、その後の指示を出す。広い館内に響くのは、トリファの軽く呑気な声音のみだ。その通話中も、彼は目の前の聖遺物から目を逸らすことはなかった。成人男性の背丈もゆうに超える木製の枠組みと、その真ん中に吊るされた、大きな刃。人の首を切断することに特化したそれは、ギロチンと呼ばれる斬首刑の執行装置だった。この刀剣展示会という場で、恐らくもっとも異質でもっとも恐ろしい展示物。その刃が赤い液体に浸したように、染まっていく。用事を終え、携帯電話を耳から遠ざけてからも、トリファは興味深そうに、微笑みを絶やさずにその断頭台を見つめ続けていた。
「完成はもう間もなくだ。これも準備の一過程に過ぎないと言えばそうですが、その中でもとりわけ重要な過程です。問題なく終われば、もうあと一息といったところでしょう。こうなると、さすがのあなたでも胸が躍りますか?」
「──それは、おれに聞いてるのか」
 連れのもう一人が、ここに来て初めて口を開いた。落ち着き払った口調に、どうでもよさそうな声色。この場において生きて会話できる者は彼一人しかいないというのに、トリファの問いの内容が自分向けではないと言わんばかりの問いが更に返ってきてしまう。
「生憎と、断頭台と話す趣味はありませんね」
 肩から上だけで振り返り、そっと背後の青年を窺えば、灰色のスーツに身を包んだ彼は声色と同じく、大して興味が無さそうに目を伏せていた。
「どうでもいい。おれはきみたちとは違う。知ってるだろ」
「ええもちろん、存じておりますよ。あなたがスワスチカに掛ける願いがないことは知っていますし、何かしらの損得で動いているわけではないことも、理解だけはしています。我々聖槍十三騎士団の協力者の中でも、あなただけは病的なまでの無欲を貫いている」
 世界中に散らばった黒円卓の協力者、あるいは盲目の信者たちは、各々彼らなりの考えや行動の指標がはっきりしている。黒円卓に加入はできずとも、何かしらの益を求めて近付く者もいれば、黒円卓の存在そのものを宗教のように崇拝する者もいた。その中でただ一人、この恐らく黒円卓と一番距離の近い協力者であるだけは、考えや指標が曖昧だ。輪郭があるようで、ない。
「得は、あるよ。欲も。多くの魂を取り込むのに、きみらの傍は最適だった」
「魂の収集は、最終的にハイドリヒ卿のために行っていることでしょう。出来ればその理由をお聞かせ願えないかと、私は常々思っているのですがね」
 の本来の立ち位置は、首領であるラインハルト・ハイドリヒの私兵だ。ラインハルトがまだ人間であった頃から、は一般人という低い地位を利用して、その役に立っていたという。瞼が持ち上がり、トリファとそっくりな碧い色をした瞳と視線が交わった。
「べつに、あの人のためじゃないさ。ラインハルト・ハイドリヒは、関係ない。おれがここにいるのはあの人の命令を受けた結果だが、おれが魂を喰らうのは、ただの本能だ。欲しいから、もらうだけ」
 己はそういうものだと、魂の収集は手段ではなく目的だと、は言いたいらしい。ではそこに生じる矛盾と違和感はどう説明をつけるつもりなのか。ラインハルトの私兵であるから、彼の命令で現世に残り黒円卓の下僕として動く。同時進行で、魂を喰らう。ラインハルトのための行動で、そして行き着く先はラインハルトの腹の中で変わりないだろうに、何故理由付けは彼ではいけないのだろう。の"正体"は大方把握しているが、彼の存在や在り方には、謎が付き纏っていた。
「今はそういうことにしておいてあげましょう。いずれ聞かせて下さい。あなたに関しては、未だ不明点の方が多いのですよ。その生体も、含めて」
「大したものじゃないよ、おれは」
「それが本当だといいのですがねえ。折角ですから少し予定を繰り上げて、確かめに行きましょうか。"あなたの言うあなた"が、大したものではないのか、否か」
 今日博物館を訪れたもう一つの理由が、これだ。の"本体"の、回収である。
「こっちはいいのか、見てなくて」
「もう少し時間がかかりそうですから。多少予定を前後させても、問題はありませんよ」
 そう告げて、トリファがゆっくりと移動を開始すれば、も黙ってその後に続いた。英雄が持っていたとされる剣から、怨念が宿ると言われるいわくつきの刀まで、あらゆる刀剣を横切りながら。薄暗い中でもトリファの足が迷うことはなく、真っ直ぐその場所に向かう。そして断頭台からそう離れていない場所、一つの展示の前で、再びその足を止めた。ガラスケースの中に縦にして飾られた、一振りの剣。英雄の持ち物よりもずっとシンプルなデザインでのそれは、刃にも磨き上げられたような輝きはない。鈍く光る剣身には、ドイツ語で銘文が刻み込まれていた。剣とは、相手を斬りつけ、突き刺す攻撃に適したものがほとんどである。けれどもこれには、切っ先がない。突くという用途のためのものではないからだ。この両刃の剣は──ギロチンと同じく、人の首を落とすためのものだった。
「どうです、久しぶりの自分との再会というものは」
「どうもしない。ただの、おれだろう」
 処刑人用の剣、ドイツ語でRichtschwert──リヒトシュヴェーアトとプレートに記されたこれこそ、の"本体"。エイヴィヒカイトを授けられた、意思を持ち自立する聖遺物。の今の身体はただのヒトとしての器であり、この処刑剣こそが彼自身だ。しばらく本体が手元を離れていたのは、が黒円卓からの任務をこなしながら同時に、魂を集め続けられるようにするため。そして今、時期が来たから、これはここにあるのだ。以前よりもずっと多くの魂を蓄えて。
「目的を達成することに特化した、実に無駄のない剣だ。簡素だからこそ不気味に映るし、一際目を惹いてしまう。そのヒトの器は派手ですが、中身は確かにあなたなのだとこれを目にする度に確信してしまいますよ、リヒト」
「そうか」
 それすら、どうでもよさそうだった。が本当にただの道具でしかないのであれば、その反応が正解なのかもしれないが。案外そうでもないように見えるから、確かめてみたくなる瞬間があるのだ。聖遺物である彼が、魂を求めるのはわかる。そこに理由などはなく、己が行き着く先なんて関係無く、ただ身体が欲するままに求めるというのは、実にシンプルだ。がただそれだけの装置であったなら、話はここで終いだろうが。彼の中にはその魂を集めるという目的の他に、ラインハルト・ハイドリヒという存在がある。が彼に従う理由──否、執着する理由がわからず、不可解なのだ。何らかの恩や敬意、畏怖はきっかけとしては弱いだろう。願いを叶える約束をしている風ではない。ヒトらしく振る舞うことの出来る一方で、ヒトらしい欲求や感受性を持たないとの間に、そんな絆や契約が成立するとも思えない。もしかすると、トリファの知らない一面が、あるのかもしれないけれど。
「これ、きみが持って帰ってくれないか」
 自分自身を無表情でじっと眺めていたが、ふとガラスケースに手を触れながら、そう言った。これ、とは、つまりこの剣に他ならず。
「私に荷物持ちをしろと。そう仰る?」
 からかい半分に軽くそう訊ねてみると、は大真面目な顔で、いや、と首を振る。はこの手の冗談を冗談と捉えることが出来ても、乗ってくれることはない。トリファとそんなやりとりをすることに意味が見出だせず、得るものがないからだ。彼の判断基準は全て今の自身の立場、相手の立場からそれが必要があるか否か、それだけだ。
「本体を、教会で保管して欲しい」
「おや、ここで同化させるつもりなのだと思っていましたが、違いましたか。魂は戦場でもう十分な量を集めたでしょう。ベイやマレウスにせがまれ分け与えてやったとしても、彼らの器のキャパを考えればあなたにとって大したマイナスではないはずですが……まだあなたはそのいつ死ぬともわからない、脆弱な身体のままで居るつもりですか?」
「同化すれば、ヒトじゃないと知れるだろ。たぶん」
「なるほど。藤井さん、ですか」
 今夜、彼が副首領の代替として完成を見るなら。の持つ魂の総数を鑑みれば、彼相手に誤魔化すことは容易ではないということだろう。まだ藤井蓮に知られる時ではないと、はそう判じている。それは一つの任務の実行を意味しており。
「わかりました。これは私が今しばらく預かりましょう。その代わり、一つ私からも頼みを聞いて頂きたい」
「命令、だろう。聞くよ」
「ええまあ、そう言われてしまうとそうなのですが。実はジュピーネが、この街に戻ってきています」
「話してたな。さっき」
 つい数分前まで通話していた男の顔を過ぎらせ、トリファは一度目を伏せた。あれは有能な男だ。黒円卓が活動するのに必要な資金繰りからシャンバラこと諏訪原市で暮らす生贄の調整まで、トリファが行う下準備は、シュピーネの力があってのものだ。よく回る頭で、彼は黒円卓の、そして自分の役によく立った。ただ少し、あれは臆病なくせに、見通しが甘い。
「彼からの任務を受けていたでしょう」
「それが」
「──裏切りなさい」
 だからこうして、更に臆病な己に、封じられるのだ。口角を持ち上げて、穏やかに裏切りを命じたトリファに、は何の感情も示すことなく黙って頷いた。彼は黒円卓内の誰の言うことでも聞くし、それぞれの命令を無闇に漏らすこともしないが、優先順位というものはどうしても発生する。現世における序列なら、首領代行であるトリファが頂点だ。つまり団員からにされた命令を退けることなど、造作もない。
「なら任務は、ここで終わりか」
「いえ、終わりにはまだ早い。テレジアの監視という私からの任務が残っていますからね。それには彼に警戒されない方が、色々とやりやすいでしょうし。引き続き、"仲良く"してあげなさい」
「わかった」
 素直と言えば聞こえはいいが、何も考えていないだけだろう。再度断頭台の元へと戻るトリファに従う、今この時も。懸念要素はあれども、トリファにとって現状使い勝手の良い駒であることには違いない。ただの道具でいてくれるなら、それでいい。もしそうではなくなる時が訪れたら──スワスチカに溶けてもらうだけだ。きっとそう手間はかからないと踏んでいる。あれは本当にただ魂を集めることに長けた聖遺物であり、は自分自身という聖遺物を武器として扱い、最大限にその効果を発揮させることに関しては不向きなので。使い手が居てこその、聖遺物だ。
 そんなことを思考しながら、刃が消失したギロチンを、トリファは満足そうに見上げた。どうやらこれの使い手は、無事確定したらしい。持ち上げた両手から、両足から、脇腹から、異常な量の血が流れ出ていく。それは彼の、今日の仕事の終了を意味していた。
(20171110)
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