白い部屋

 部屋の主のように淡白で簡素な部屋の真ん中に置かれたソファベッドを、蓮は一人で占領していた。横になる蓮に背を向けてベッドの側面にもたれかかり、冷たいフローリングに腰を下ろして煙草の煙を燻らせるを見ながら──薄暗くした部屋の中で、気付かれないように彼の金色の髪を眺め続ける。
 あの面倒事を避けて生きてきたような、が。情の薄そうな無表情はそのままに、ずっと蓮を拒むことなく、傍に居てくれている。こんな状態で戻って、香純に異常を気付かせたくないという蓮の意図を、汲んだかのように、自分の部屋へと招いて。猫のような人だと、茶化す意味ではなくそう思う。つれないくせに、主人の変化には気付き寄りそう猫みたい、なんて教師に対する感想としては失礼が過ぎるだろうか。
 公園からの部屋に帰ってからも蓮は胃の痙攣が治まらず何度も吐いたし、それは意図せず玄関先であったりしたので、つまり更に迷惑をかけた。けれども彼はそれを黙って処理した後、蓮の部屋へ着替えを取りに戻ってくれもした。蓮の服には返り血もついていないし、身体には負傷の痕一つない。しかし服だけが一目瞭然な程ボロボロのままで、最早裁縫で修復できる程度はとうに越えていた。
 蓮の部屋から適当な着替えを持って戻って来たは、「着替え、手伝うか」と提案してきたが、さすがに断った。口元が少し笑っていたから、本気半分茶化し半分だろうと察したのもある。着替えを終えて促されるままソファベッドに蓮が横になったその後のは、こうして何も言わず、煙草を吸い続けながら蓮の傍から動かなかった。
「──せんせ」
「なに。吐くか」
「いや」
 ありがとう、と自然と言えたのは、正面から向かい合っていなかったからかもしれない。うん、とどうでもよさそうな相槌にもっとなんかないのかよと思わないでもなかったが。らしいと言えば、そうだ。彼は人からの感謝も嫌味も好意も厚意も悪意も、すべて同じようにフラットに受け取って、流してしまう。それを嫌な奴だと捉える者も多いだろう。蓮もそう捉える側の一人ではある。が、のその変わらないスタンスは、接するのに肩に余計な力を入れなくていいから、楽だとも思うのだ。
 吐き気は治まった。眠れそうにはないものの、一時間前を思えば気持ちは幾分か落ち着いている。目の前が真っ暗では、なかった。何も解決していないし、このひ弱そうな男を頼るつもりもない。自分したこと、されたこと。そもそも死体も、公園の一部が破壊された形跡も何もないのだから、説明のしようもない。
──日常に戻りたい。の後ろ姿を見つめて、より強く、そう望んだ。あの非日常な一連の出来事が、すべて夢ならいい。覚めればなかったことになる、あれがただの悪夢だったなら、どんなにいいだろう。
「寝ろよ、病人」
「べつに病人じゃありません」
「そう。じゃあ明日も登校出来るな」
「言われなくとも、そのつもりですよ」
 少しでも、非日常を頭から追い出すために。朝が来るまでに身体の調子が戻ろうと戻るまいと、多少遅刻したとしても、明日は学校に行くつもりだった。
「なら、余計に早く寝ろ。おれの授業で居眠りしたら、雑用な」
「居眠りしなくても雑用させるでしょう、あんたは」
「まあな」
「開き直るなよ」
 正直、ゆっくり眠れる気はしなかったが。未知への恐怖を記憶の片隅に強烈に残しながらも、そんなどうでもいいやりとりをしている内、日常の感覚を少し取り戻せたような気分に、なった。錯覚かもしれない。無理やりにでもそう思い込んで、恐怖を忘れようとしているだけなのかもしれない。今この瞬間にどうしようもなく安堵を見出していて、縋っていたのだろう。結果、気付くと意識が落ちていたくらいには、ぴんと張り詰めていた気が、緩んだ。


(20171104)
→back