家族のかたち

 幼馴染のお節介に付き合って、迷子の神父を教会まで送り届けたら。当然と言うべきか、その教会を住居とする氷室玲愛と遭遇し、その保護者替わりであるところのFカップと噂のシスター・リザにも会い、どうも彼らの尻に敷かれているらしい神父ヴァレリアが愛すべき娘同然の玲愛に素気無くされて嘆く様を見物することとなった。人の家庭の事情を外から眺める趣味はないけれど、これはこれでなかなかどうして、微笑ましい。玲愛もリザも、一見久しぶりの再会であるヴァレリアを暖かく迎える、といった様子はないけれど、彼女たちなりに彼の到着を待っていたのだろうと思う。たぶん。
 見た目だけなら親子よりも姉妹と呼ぶ方が自然な年齢差だが、彼らを取り巻く雰囲気と気安さ、大人二人が少女を見つめる眼差しを鑑みれば、やはり親子に寄っている。玲愛の名付け親で、彼女が小さい頃からシスター共に世話をしていたというヴァレリアの話は、疑っていたわけではないものの三人集まると妙な説得力が増した。彼らは紛れもなく、家族だ。父親と、母親と、娘と。
「外で集まってなにやってるんだ、きみら」
 そして、図ったようなタイミングで現れた最後の教会の住人の役どころは、間違いなく兄だということを蓮はそれとなく知っていた。恐ろしく間の良い男である。蓮と香純が"家族"の再会に居合わせたこの時この場所に、偶々帰って来るのだから。くたびれたスーツに身を包み、薄い鞄を片手に、視界に蓮たちを収めても急ぐでもなくゆったりとこちらへ歩いて来る教師──。彼もまた、幼少を教会で過ごした一人だ。現在はこの教会ではなく、蓮たちと同じアパートで一人暮らしをしていて、何かと物騒なこの時期だけ、教会に戻ることを決めたらしいのだが。全体的にほっそりとした印象の身体が、蓮の横に当たり前のように並ぶ。珍しいな、と蓮たちと軽いやりとりをしてから、僧衣を纏う背の高い男を無感情に見上げた。淡々と口を開く彼に驚きは微塵もないようだ。
「誰かと思った。トリファか」
「……そういうあなたこそ、誰かと思えばではないですか」
 そう返す声は、あからさまにワントーン落ちた。この神父に少々親馬鹿が入ってることは、決して長くはないこれまでのやりとりから既に察している。玲愛を猫かわいがりしている、これからもしたいような言動の数々は、リザに警戒される程だ。では、と対した場合はどうなのか。玲愛が娘であったなら、多少年齢は上がるがは息子のようなものだろう。もしくは、弟か。ヴァレリアが玲愛を指して放った「美しく育った」という点においては、にも同じことが言えるはず。コアなファンも抱えている辺りまで、似たもの兄妹だ。その"兄"との再会に、神父がどういう反応を示すか、というところなのだが。どういうわけか、彼女と同じとはいかないようだ。ヴァレリアが非常に微妙な顔をして何か言いたげにしている中、は無関心さを隠さずにさっさと視線を別方向へとやっていた。
「おかえり、。予定より遅かったね」
「夕食に間に合いはしただろ」
 その空気を読まず、あるいは読んだ結果なのか、やや表情を明るくした玲愛がの帰宅を歓迎するように、彼の元へと近付いていく。
「結構ぎりぎり」
「遅刻はしてない」
「そういうルーズさを放置してると、いつかモテなくなるよ」
「玲愛にとってはもしかするとその方がいいんじゃないかしら?」
「そうか。わかった。ならこのままで」
「何がわかったの。適当に納得したふりするのやめて。リザも、適当なこと言わないでよ」
 玲愛との噛み合っているようなそうでもないような会話は何度も見てきたが、シスターを交えてのそれを目にしたのは初めてだ。おかえり、と改めて告げながら玲愛の少し後ろで微笑むリザに、は「あぁ」と小さく返す。家族同然の相手にも、は結局といったところか。
「まあそもそも」
「夕食はいらなかった、とか言ったら怒るから」
「……」
「今日は玲愛も手伝ってくれたのよ。まさかいらないなんて言うわけないじゃない」
「…………」
「よかったわね、玲愛。お兄ちゃん、残さず食べてくれるって」
「嬉しいよ、お兄ちゃん」
 けれども、三人の間にどことなく慣れた相手特有の親密さを感じるのもまた勘違いではないだろう。あの先生が押されてるなんて、と意外そうな香純の呟きに、蓮も心中で同意した。その一方。家族の一人であるはずの、神父はと言うと。
……あなたという人は本当に……ええ、思い出してきましたよ。いつだってそうでした。ある日、私がリザに虐げられる中、あなたはそれを一瞥もすることなく私に見せつけるようにテレジアと並んでうたた寝をしていましたね。またある日は、テレジアの遊んでという可愛らしいお願いを、無慈悲にも秒で拒み、涙目にさせていた。なんたる贅沢。なんたる非道。あなたは昔からそういう子だった!」
 ああ、とヴァレリアが嘆くように片手で顔を覆いながら天を仰ぐ。低い位置で束ねられた量の多い金の髪が、彼の大げさな動きに合わせてなびく。
「私は知っているんですよ。私がテレジアからお風呂を初めて断られたあの日──あなたがテレジアからお風呂に誘われていたことを! 、これがどういうことだかわかりますか?」
「わからない。リザ、夕食の準備は終わったのか」
「ええ、もちろん。今日の夕食は綾瀬さんと藤井くんも一緒だから、賑やかになるわよ」
「騒がしそうだ」
 一番騒がしくなる原因は、現在家族にスルーされ続けているお宅の神父だ。とは、声に出さなかった。
「あなたはまた私からテレジアを奪っていくのですかっ!」
 嘆き続けるヴァレリアの声を背後に受けても意に介さず、はマイペースに我が家へと向かっていた。気にしなくていいから、というリザの言葉に従い、蓮と彼の右隣で事の成り行きを心配そうに見守っていた香純も、ぞろぞろとの後に続くような形でゆっくりと教会を目指す。家人の誰も気にしてないのだから、慣れはすごいと捉えるべきか、可哀想だと同情するべきか。
 なんて、考えていた蓮の左隣にそっと移動してきた玲愛が、何を思ったのかお風呂のことなんだけど、と切り出した。
「私、昔の性別の認識が曖昧だった時があって。だから神父さまとのお風呂を断った時、断ったのはいいけど一人で入るのはちょっと不安だったから、を誘ったの」
「あぁ……昔はさぞ、美少女に見えたんでしょうね。見た目だけはいいですし」
 半分姉くらいの認識だったのだろう。今でこそまるみのない身体つきで男だとわかるが、あのビジュアルだ。昔はもっと性差があやふやで、中性的な印象も強かったに違いない。
「先生の小さい頃って、あたしあんまり想像つかないかも」
 蓮を挟んで玲愛の話を聞いていた香純が、興味深そうに言う。
「後で写真見せてあげるよ。結構かわいい。高く売れそう」
「う、売っちゃうんですか……」
「もちろん売らない。私の宝物」
 わりと本気で売りそうなトーンではあった。どこか得意げな玲愛の横顔に、ふと残った疑問を投げる。
「そういえば、なんでその話を俺に?」
「藤井くんに嫉妬させてたらいけないなと思って」
「しませんよ。どこにすればいいんですか」
「お風呂、一緒に入る?」
「入りませんからっ!!」
 玲愛の問いかけに食い気味で、香純が大きくそう答えた。蓮としては端から入る気もないしそれは玲愛だって同じだろうと察しているのだが、こういう時にいちいち大層に反応するからおまえはいつもからかわれるんだよ、と言いたい気持ちがないでもない。
「綾瀬さんも一緒にどう? 三人で」
「えぇっ!?」
「動揺し過ぎだろ」
 案の定だ。
 騒ぐ香純の声を耳に入れながら、先を歩くの背を眺めながら、少しだけ彼の小さい頃を想像してみる。今よりもっと人形のようで、細くて、やはり無表情で。現在であれなのだから、大人に対して愛嬌があったとも考えにくい。つまり、の言葉を借りるなら──クソガキだったのだろう。あまりにも容易に"美しいクソガキ"が思い描けてしまったことに、蓮は誰にも悟られないように苦笑した。


(20171024)
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