Introduction01

 元を辿れば、遊佐司狼が全部悪い。浮かれていたのかトチ狂ったのか、そもそもが人としてどこか外れた奴ではあったが、ここまでとは思わなかった。否、これまでの無茶振りを振り返れば、これもなるほど遊佐司狼なら仕方ないと言える範疇のものではあったかもしれないが。ともかく、藤井蓮は呆れていた。呆れ果てていた。学園の入学式を数日前に控えたある深夜、気がつくと越してきたばかりの自分の部屋の壁に見事な穴がぽっかりと空いていた。大人一人が通れる程の大きさの穴は、ハンマーによって盛大にぶち抜かれたもので、何のデザイン性もない。壁の向こう側から何かを削るような音に気付いた時にはもう遅かった。隣の部屋でまた司狼が一人騒いでいるんだろうくらいに思っていたら、まさか部屋と部屋の間に穴を開けようとしていたなんて、誰が想像出来たのか。
 どう言い訳をしても、恐らく敷金は返ってこないなと蓮は悟った。どころか、この事実が大家に明るみになれば即日部屋から追い出され、追加で金を支払うことになるだろう。何がどうしてこうなったのか。犯人であるところの司狼は、隣の部屋からその穴を使って出てくるなり、格ゲーしようぜ、と言った。馬鹿かお前、としか返せなかった。この物音に、逆隣の綾瀬香純が起きて大騒ぎするのは必然だった。深夜なんだから静かにしろよ、なんて理屈が通じる幼馴染たちではない。同じアパートの隣に住んで、いつでも皆で助け合えるようにすること。親が出した自分たちのためを想った一人暮らしの条件が、新生活開始約一週間で仇になっている。控えめに言っても頭が痛い。このアパート、どれだけの人が住んでるんだっけ──と、近所からのクレームに肝を冷やした直後、恐れていたことは起きた。幼馴染が集まった蓮の部屋の、チャイムが鳴ったのだ。 居留守なんて通じるわけもなく、仕方なしに蓮が玄関まで出るはめになった。重い足を引きずり玄関にたどり着くと、謝罪の言葉をいくつか並べながら扉を開く。が、クレームの主と対面した瞬間、全ての思考が停止した。室外から入ってきた外気に肌寒さを感じる余裕も、無かった。
「今何時か知ってるか?」
 部屋まで乗り込んできた、ワイシャツにスラックス姿の青年が日本人ではないと、一目でわかったからだ。恐らく二十歳前後であろう彼が操る日本語は流暢で、しかしそれが違和感に思えるくらいには、外国人の見た目をしていた。どうしたって目立つであろう派手な金色の髪に、薄く碧い瞳。彫りが深くはっきりした目鼻立ちは、欧米人特有のものだ。端的に言って、絵に描いたような美しい人だった。全てのパーツがあまりにも綺麗なかたちをしていて、いっそ人形のようですらある。そんな男の顔には何の表情も乗っておらず、それが蓮には、ひどく不気味に思えた。嫌な緊張が、背筋を伸ばす。
 考えていた謝罪が、上手く口から出て来てくれず、まごついていると、背後から「蓮、この穴もう少し広げとくぜ。まだせめえわ」と空気の読めない発言が飛び出した。男が、くすりと、小さく笑った。急に、印象ががらりと変わり、肩の力が僅かに抜けるのを感じる。
「楽しそうだ」
「そうですね、楽しいみたいです。あいつらは」
 絞り出したような声は、まるで他人事のような科白を紡いでいた。男につられるように、蓮も口の端を無理やり上げる。元気な子どもの茶目っ気に溢れた悪戯として笑って見逃してもらえるなら、いくらでも笑ってやる。そもそも自分は悪くないが。もう自棄糞だった。やや低い声が、蓮に答える。
「深夜も元気で何よりだよ、クソガキども」
 笑って見逃してもらえそうになかった。


(20160926)
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