きみはぼくのものにならない

 朔間零という、人の好意を己へ集めることが上手な男がいる。どうしようもなく綺麗と称するほか無い見目は、そこに立つだけで濃ゆい存在感を放ち、見るものすべてを圧倒するのだ。メラビアンの法則によれば、人は誰かと出会ったとき、相手を判断する際に視覚情報が最重要となるという。人は見た目が九割、そういう話だ。それを十二分に利用できるほどに恵まれた容姿を持つ彼は、その語り口も年齢不相応に堂に入っており、つまり人を二度引き込む。優れたカリスマ性は一種の才能だが、朔間零に関して言えば才能の塊であった。学生であることが惜しいくらいに。年上も年下も、誰もが彼を讃え、トップアイドルだと認めて否を唱えるものは存在しない。学外での活動も積極的に行っていた彼に憧れて、夢ノ咲学院のアイドル科を目指す者も増えた。そして──の親戚である大神晃牙も、気づけばその一人となっていた。
「最近、特に多いな。その、さくまれーってひとのはなし。聞き飽きた」
「本読むなよ、興味無さそうにすんなちゃんとこっち見て俺の話聞けよコラ!」
「わかったから、声のボリューム下げろよ。夜だから」
 声量がありそもそも通りやすい声質である晃牙の声は、一軒家とは言え、窓を空けたままだと隣近所まで響き渡る可能性がある。この家で近所付き合いなんて大してしていないが揉め事は御免なので、軽く注意しておいた。あ、わりぃ、と我に返ったように晃牙の声が小さくなる。元々声は大きい方だけれど、熱が入ると特にこういうことが起こる。最近では朔間零の話題が上がったときに多い。晃牙がアイドルを志すきっかけとなった、曰くロックで、クールで、完璧にかっこいい先輩。しつこいくらいに聞かされてきた彼がいかに理想的かという語りと、彼と知り合いになれたという親展、そしてその後の話にはよく本に目を通しながら耳を傾けていた。物事を同時に行うのは得意な方だ。晃牙はが本やテレビを見ていると話を聞いてないと判断して文句を言うが、実際はどちらの情報も余さず頭に入っている。
「それで、そのすごいさくませんぱい、がなんだって」
「俺、やっと朔間先輩とまともに話せるようになったんだ。あの人はまた海外に行っちまったけどさ、一週間後に戻ってきたときに俺が成長してたら、直接俺を指導してくれるかもしれね〜んだよ」
「ふうん? よかったね」
「……全然興味ねえな」
「興味はないけど、心から思ってることを言ってるよ」
 晃牙はあまり表には出さないが、自分が好きなものを親しい者にも好きになってもらいたいタイプだ。そういう性格を知っているからこそ晃牙の一連の言動をは可愛いと捉えるが、朔間零の話ばかりされるのは面白くないというのも本音である。この親戚に付き合って、あの男を応援するつもりも崇拝するつもりも更々なかった。もういい、と拗ねたようにテーブルに突伏した晃牙は、視線だけでを見上げて、唇を尖らせた。
「つうか、も夢ノ咲学院のアイドル科だったんだろ。ええと、朔間先輩の二個上だから……時期被ってんじゃん。なんであんなすごい人を知らないんだよ」
「学年違うし。ひとの名前と顔覚えんの苦手だし」
「学年違ってたってあれだけ目立てば嫌でも目に入るだろうが!」
「おれ学校嫌いだったんだ。落ちこぼれだったしな。ユニットも組んだことないくらい」
「はぁ? なんでアイドル科行ったんだよ……今だって、結局普通に良い大学行ってるしよう。意味ねえじゃん」
「色々あるんだよ、おれにも」
「色々ってなんだよ。言えよ」
「……うーん」
 アイドル科に進学したのは、無関心な親へのただの反抗である。困らせてやりたかった。無駄金を使えばいいと思った。幸い、元々が器用な性質だ。そこそこの大学に進学するために必要となる勉強を、誰の手も借りず一人でやれる自信はあった。であれば三年間、学校にいる時間帯くらいどう過ごそうが問題ない。要は高校などどこへ行ったって良かったのだ。どうせなら退屈しなさそうで、ついでに将来のために一つや二つ変わり種のコネを作れる場所がよかった。その条件に、夢ノ咲学院は見事当てはまっていた。それだけのことだ。
 実際、入ってみて万々歳、とはいかなかったけれど、普通の高校へ進学するよりは退屈しにくかったように思う。目的は概ね達成した。自分自身がアイドルとして上を目指すよりも、頭を使って他人を上へ押し上げる方に楽しさを見出してしまったのは、今思えば失敗だった気もするけれど。ともかく、この色々、を晃牙に話すつもりは毛頭なかった。どう足掻いても格好のつく話にはならないからだ。
「内緒」
「今なんか考えてたろうが。言えばいいだろ。この期に及んで、俺に隠し事すんのか?」
「あのな、おまえにもあるだろ、隠し事のひとつやふたつくらい」
「ねえよ。俺に隠し事なんかしねえもん」
 平然とそう答える晃牙は、それが世の常識だと言わんばかりの態度であった。は晃牙のテリトリーの中でも、更に彼自身に近い立ち位置で、長く過ごしてきた自覚と自負がある。積み重ねた信頼の結果がこれなのだから満足と言えばそうだが、同じものを要求されても困る。時々彼はあまりにも純粋が過ぎるのだ。
「そう。じゃあ昨日の寝る前のオカズは?」
「オカ……言えっか!!」
「言えないだろ。そういうことだ」
「一緒くたにすんなよ! 全然ちげえだろ!」
「おんなじだよ。おれにとってはな。この話はおしまい」
 ぱんぱん、と二回両手を打ち付けて、終いの合図とした。が本気で何も話す気がないことはそれで察したのだろう、晃牙はそれ以上追及してくるようすはなくなったものの、まだ不満がありありと見て取れた。適当に話を逸らす必要がありそうだ。ついに視線も下げ、ほぼテーブルとキスするような形で顔を隠した晃牙に、は上から何気なく命じてみた。
「晃牙、お手」
「しねえよ。犬じゃねえし」
「おすわり」
「座ってんだろ」
「ふせ」
「よく見ろよもう伏せてんだろうが、適当なことばっか言いやがって」
 機嫌は悪くとも、いちいち返事をする律儀さは健在だ。テーブルに肘をついたまま、全く同じ調子で、は続ける。
「キス」
 たっぷり三十秒ほど間があった。
「……たまにはそっちからしろよ。いつも俺からじゃねえか」
「まあおれそもそもべつにキス好きじゃないからな」
「あぁ!? は、早く言えよそういう大事なことはよう!」
 がばりと持ち上がった顔は慌てたような怒ったような複雑な表情を湛えていて、瞳は不安そうに揺れていた。その瞳を無感情に見つめ返してから、は口元を僅かに緩めた。
 晃牙はいつも一生懸命だ。大事な思い出への執着と恋心を勘違いして、思い込みで一生懸命にこんな人間を好きになって、振り回されて、それが可哀想で──とても可愛くて仕方がない。さっさと離れて別の場所で幸せになればいいのにと手酷く扱っても、食らいついてくるものだから、哀れに思っていても、正直どうしたらいいのかわからなくなっている。傷付けるのか、優しくするのか、どちらかに絞るべきなのに。
「でもおまえからしてもらうキスは、嫌いじゃないよ」
「ずっけえ……あんたはほんと、そういうとこずっけえよ……」
 晃牙の身体がのろのろと、ひっついていたテーブルから剥がれていく。小さな舌打ちが響いたと思ったら、突然胸ぐらを掴まれテーブルを挟んだまま引き寄せられたが、特に抵抗することはしなかった。琥珀色の両目には、余裕なんて一切無かった。晃牙の照れたようなぎこちない顔が近寄った直後、唇にやはり固い動きで柔らかな唇が押し当てられる。何度やっても不慣れさが残る彼のそれは、良いように言えば初々しいといったところだろう。先に唇を割って相手の口内に侵入したのは、の方だった。それを受け入れて控えめに応えようとする晃牙は、やはり健気で一生懸命だ。
 自分なんかの傍に置いておくのは勿体無い、けれどもアイドルにするには綺麗過ぎるし──あの男の後を追って欲しくも、ない。あれと晃牙はスタート地点から違うのだ。晃牙はどんな努力をしてもあれにはなれることはなく、に言わせれば目標設定としてあれほど相応しくないものもない。最早引き止める術など思いつきもしないので、これはただの身勝手な我儘でしかないのだが。アイドルなんかやめちまえ、と口にできないかわりに、求められるまま唾液を送った。
 頭の片隅で今の彼との行為に不必要な記憶の一端が、やや強引に出張ってきたのは、あの男の名前を聞いてしまったからだろうか。
──あんたはなんでもできるけど、自分の魅せ方は知らね〜んだな、先輩?
 人だけではなく闇にも好かれる少年に、かつてはそんなことを言われたことがある。二つ年下の後輩は生意気だが、不思議とその生意気さが鼻につかなかった。見目、話し方、空気、その全てが絶妙なバランスで、相手に不快感を抱かせない。大勢が、彼を前に首を縦にしか振らない気持ちもわからないでもない。はそんな後輩に、従いもしないが拒むこともしなかった。ただ、誰よりも高みへ向かうことが確定しているその存在に、ティースプーン一杯程度の感心と、憐れみを持っていたのだ。
──他人の魅せ方は見えるから、それでいい。おまえがどうやって上へ行くのかもおおよそ見えるよ、朔間
 残念ながら、大神晃牙はきっと大勢に愛される良きアイドルになるだろう。今はまだ未熟で、自分自身では先が見えなくとも。いつか必ず道は開ける。その一歩をもう既に踏み出しているかもしれない。晃牙本人にははっきりと見えないものが、には見えていた。未来予知などの非科学的な力ではない。ただ彼がどうやって売れていくのか、どのようにして売れていくのか、どうすれば上へと行けるのか──そこまでの道筋が、頭に思い描けるというだけのこと。長い間を共に過ごし、欠点も美点も知り尽くしているからこそ、他の誰よりも鮮明に。ああだから本当に、残念でならない。彼はどうしたって自分だけのものには、ならないのだから。
(20180606)
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