どうか君だけは、ずっと
「なんだってあんなのに挑んだのか。全く俺は理解に苦しむよ、龍也」
その青年は病室のベッド脇に用意された椅子に腰掛け、呆れたような言葉を零しながらも、慣れたナイフ捌きで林檎の皮をするすると剥いていた。ベッドの上で上半身だけを起こした高坂龍也は、青年の皮むきを眺めつつ苦く笑う。昨日も確かよく似た内容をぶつぶつ呟きながら、みかんの皮を向いていたな、と。果物はともかく、彼が同じことを言うのはそれだけ心配をかけたということだ。それをよく理解していたから、龍也は黙ってその説教じみた言葉を聞き続けることにした。
「俺が龍也の家に居候させてもらってから数カ月経つ。少しは君のことを理解出来たかと思っていたが、どうやら俺の勘違いだったようだ」
龍也がかなり無茶をしたことについて言っているらしい。青年――から見た自分は、そういうタイプには見えなかったようで。勿論それは間違った推測ではなく、龍也は職業柄勝つ為に手段こそ選ばないが本来自分の身が危険な目に合うことを積極的にする方ではない。なのに、一昨日の彼は違った。好きになった女性の為に、彼女と同居している恭一という名の男に勝負を挑んだのだ。に言わせれば始める前から負けが見えていた勝負。恭一はそれくらい身体的に強く、勿論龍也もそのことは知っている。それでも彼は男として引くわけにいかず、そもそも簡単に負けるとも思っていなかった。いつも、どんなに危うい勝負も最後には自分が勝利してきたのだ。そんな自負があったから。その自負も、一昨日で崩れ去ったのだが。結果、容赦されながらも酷い怪我を負わされ、入院。自身の同居人の青年にとても心配をかけることになった。後悔はしてないが、申し訳なくは思う。無言でこちらを睨んでくるに微笑んで返して、龍也は口を開いた。
「僕も男だからね。引けない時があるんだよ」
「恋のことだろう。俺だって男だ、分からなくはない。だが、相手が恭一なら別だ。あいつに挑もうなんて正気だとは思えないな」
「はは、言ってくれるね」
「別に皮肉や嫌味で言っているつもりはない。事実だ」
「まあ、君が言っている意味は分かるよ。身体で理解させられた身としては」
「だったら、今後一切止めてくれ」
「それは恭一君の心がけ次第かな」
「っ、龍也! 君って奴は……っ」
声を荒げてから、ははっとしたように剥き終わった林檎へ視線を向けた。少々気まずい沈黙が落ちる。がこんな風に感情を荒々しく見せることは普段絶対に無い。そのことへの驚きで、すぐに言葉を返せないでいた。
「……俺は、真面目に、心配している。龍也に無茶をされると、心臓に悪い。俺だけではなく、恋も悲しむ」
やがて、やや控えめな声が耳に届く。
「現状、恭一が龍也を殺す理由は無い。君に何かあったら周囲がうるさくなることも理解しているだろうから、余計に。でも本来、あいつは自分に刃向う者を殺したり怪我を負わせたりすることに、何の抵抗も無いんだ」
「――――」
「不愉快だと本気で思うなら、不用意に近付かない方がいい。互いの為にな」
と恭一は友人が呼んで差し支えない程に仲が良いのを龍也は知っている。だからこそ、この恭一に対して失礼とも言える忠告が不可思議ではあった。
「……恐らく目覚めてから一番仲が良くなった相手にそこまで言われるなんて、恭一君もよっぽどだね」
「さっきと同じ、これは悪口の類ではなく、事実だから」
「だとしたら、君はあいつを相当理解しているということだ」
「そういうことに……なるのか?」
「僕はそう思うよ。君も恭一君も、150年前の記憶は無い状態で数カ月前に目覚めた。つまり出会ったタイミングは僕や長谷川君とさほど変わらないはずだ。でも、君は恭一君を理解している風に言う。逆も然りだ。それは、同じ地上の人間だからという範疇を越えているように見える」
彼の恭一を語る言葉に、気がする、かもしれない、のような推測はほとんど含まれていない。全てが断定で、恭一のことを何もかも分かっている風に彼は話すのだ。何となく気に入らず、面白くない。恐らく恋の前では隠し切れているはずの感情を、ほんの僅か零して見せた。
「少し、妬けるよ」
「……なにそれ」
それくらい、あの男に何もかも持って行かれるのは、嫌だった。
「龍也?」
好きだった女性も、最近出来た世話の焼ける友人も。奪われたくない。留めておきたい。当然女性である恋の時とベクトルは違うものの、に対してもそんな子供じみた独占欲があったことを自覚して、何だか可笑しくなった。
「なんでもない」
「なんでもないことはないだろ」
「本当に、なんでもないよ、」
思っていた以上に、自分はこの友人が大事になっていたらしい。素直に認めておくことにする。そして、今彼が自身の傍に居てくれることに、些細な優越感と感謝を覚えた。