始まりの

 六年制にして全寮制の修智館学院において、転校生とは珍しがられるものだ。少なくとも、東儀は入学してからの四年間、一度も転校生というものに遭遇したことがなかった。理由は単純、入試よりも転入試験の方が難しいらしい。此処が県内トップクラスの進学校であることを考えれば、そう意外なことでもないのだろうと彼女は思う。だから、五年生へと進級する直前の春休みになって、同学年に転入生が現れるなどとは予想だにしていなかった。
 新五年生に転入生が来る、と聞かされたのは数日前だ。「余程頭が良いんだ」という短い感想を持ったのと、生徒会副会長である千堂瑛里華が転入生は自分が出迎えると今日まで張り切っていたのをはよく覚えている。で、その当日である今日、転入生を迎えに行った瑛里華の様子を見に校門へ向かおうとしたのだが――寮を出てすぐ、向かい側から歩いてくる二人の男子が視界に入り、彼女は無意識に足を止めた。一人は制服姿、もう一人は私服姿。この取り合わせと二人の様子は、彼女にとって意外そのものだった。前者は友人――八幡平司であり、後者の男子に見覚えはない。同学年である司が楽しそうにやりとりしている相手に見覚えが無いという事実は彼女にしてみれば少々不可思議だ。司の人間関係を全て把握しているわけではないが、が知る限りでは司にここまで穏やかに笑い合える男友達はこの学園に存在しなかった筈で。これはある意味、奇妙な光景だった。思わずじっと見入ってしまう程度には。
? お前なにやってんだ、こんなところで」
 いつの間にか目の前まで来ていた司に声をかけられて、は自身が茫然と立ち尽くしていたことに気付いた。道の真ん中で突っ立っていたのだから、誰だって不思議に思うだろう。現に司は首を傾げており、そんな彼に彼女は曖昧に笑い返してみる。訊きたいことは色々あるが、とりあえず自分の状況の説明を優先させることにした。
「あ、ええと、私は瑛里華が張り切って転入生を出迎えに行ったから、様子を見に行こうと……って、まさか」
 そこまで言ってから、ふと司の隣に立つ私服姿の男子に視線をやる。黒髪の青年が、不思議そうに目をまるくさせてこちらを見つめていた。この見知らぬ人物はまさか、と一つの可能性を頭に過ぎらせたのと、司からその解答が為されたのはほぼ同時だ。
「その張り切って出迎えたらしい副会長から頼まれた俺が、転入生を案内中だ」
「え……何故に」
「急用を思い出したとか言ってたな。後は本人に訊け」
 つまり司は案内を押し付けられたらしい。それにしては機嫌が良さそうな辺りは、余程その転入生が気に入ったのだろう。やや呆れたように嘆息する司とその転入生を交互に見やる。
「じゃあ、彼がその転入生だね」
「ああ、孝平だ」
 答えたのは司で、それで目の前の彼が孝平という名だと思い出す。数日前、一度確かに教えられた筈のは、新学期以降のイベントの準備のせいですっかり記憶の片隅に追いやれていた。何故か微妙に険しい顔をしている転入生に、努めて柔らかく笑いかけてみる。
「よろしくね、孝平君」
「支倉孝平、五年生だ。よろしく」
「私は東儀といいます。君と同じ五年生だよ。司君とは、二年間クラスメイトだったの」
 笑うと一層幼く見えるな、と思ったことは胸に秘めておくべきなのだろう。支倉孝平は、司よりもやや幼い顔立ちをしていた。比較対象が悪いのかもしれないが。生徒会長程の派手さは無いものの、それでも孝平はかっこいいと称されて然るべき容姿をしている。
 こちらから手を差し出せば、孝平も戸惑いがちに手を伸ばしてくる。しっかりと握手を交わし終えると、彼はどこか安堵したように表情を緩めていた。
「それにしても、瑛里華どうしたんだろう…。あんなに張り切ってたのに、急用なんて」
「さあ、急用を理由にしなきゃいけないくらいの何かがあったのかもな、悲鳴上げてたくらいだし」
「悲鳴……?」
「司!」
 困り顔の孝平が咎めるように司の名を呼び、呼ばれた本人は意地悪そうに笑っている。瑛里華に、あるいは瑛里華と、何かあったのだろうと察するのは容易い。探るような視線を孝平に向ければ、彼は慌てた様子で早口に、つい数分前に起こったことをまくし立てた。千堂瑛里華から差し出された手を握ろうとし、指が僅かに触れた瞬間――悲鳴を上げられた、とのことらしく。別段嘘を吐いてる風にも見えず、はそれを事実として考える。が、俄かに信じ難いことでもある。生徒一人一人に楽しい学院生活を送ってもらいたいと心から願い、そして何事にも物怖じしない性格の瑛里華が、初対面の転入生に対してそんな失礼な行動を取るということが解せないのだ。そこには何か理由があると見て間違いないだろう。再び難しい顔をし始める孝平に、苦笑して見せる。
「事情は分かった。副会長がびっくりさせちゃったみたいでごめんなさい。あんまり気を悪くしないでくれると助かる。何かの誤解か、手違いだと思うし。本当に瑛里華は君を歓迎したくて出向いたってこと、覚えておいてもらえたら嬉しい」
「あ、いや、気を悪くしたわけじゃない。まあ驚きはしたけど。俺に何か非があったのかもしれないし、どっちにしろ東儀さんが謝ることじゃないよ、ありがとう」
「こちらこそ。瑛里華に会ったら事情を聞いておくから」
 そうしてもらえると助かる、と孝平は微笑む。支倉孝平という転入生は、どうやら物分りが良く優しい人物らしい。司が気に入るのが分からないでもない。そのことにほっとしつつ、は司へ向き直る。
「それじゃあ、司君は任務続行ということでよろしく」
「同じ生徒会のお前が仕事を引き継いでくれるんじゃないのか?」
「そうしてあげてもいいんだけど…。私は瑛里華を捜したいし、それに孝平君も案内は同性の方が気を遣わなくていいんじゃないかな、とか。付け加えるなら、司君だって悪い気はしないでしょ?」
「……まあ、な」
「ならお願いね」
「引き続きよろしく、司」
 孝平にまで言われ、わかったわかったと繰り返して司は溜め息を吐いた。面倒そうにしているが、特に嫌がっている様子は無い。良いことだ、とは友人に友人が増えたことをひっそりと喜ぶ。
 寮へと消えていく二人の後姿を見送り、は振り返る。向かうべきは監督生棟。恐らく瑛里華はそこへ戻っているだろうと推測し、早足に歩き出す。何か良くないことが起こっていそうな、あるいはこれから起こりそうな――そんな予感が一瞬だけ、過ぎった。


(20101016)
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