飴玉一つ

 放課後、私は学院の門へと真っ直ぐ向かう一人の男子生徒の後姿を見かけた。遠目からでもすぐにそれがクラスメイトであり友人の一人だと分かる。こんな時間にこの辺りをうろつく人を一人しか思い当たらないというのもあった。全寮制の修智館学院では、基本的に平日の外出は不可とされている。許可があれば例外とされるのだが、許可は書類に外出理由を書いて寮監の判子を貰わなければ下りない。目の前の男子生徒――八幡平司君は、常に平日外出許可を貰っている数少ない一人だった。
「司君」
「ん、か」
 その背に声をかければ、面倒そうに振り返った八幡平司君が意外そうに私のを呼んだ。訝しそうに私を数秒眺めた後、どうした、と続ける。
「こんな時間にこんな場所……まさか抜け出すのか」
「違います」
「じゃあ逃げ出すのか」
「同じだからね」
 司君は「冗談だ」と言いながら、にっと笑って見せた。近寄り難いと称される人にしては意外に爽やかな笑みだ。外見もかっこいいし、千堂先輩までとはいかずとも、もう少し愛想を振り撒けば学年問わず人気が出そうなのに司君は色々と惜しい。所謂不良として学院内でちょっとした有名人となっている時点で、それは難しいのかもしれないが。まず居眠りの常習犯だ。そして彼は表立ってその他のルールを無視するわけではないけれど、決してきっちり守る方ではなくその抜け穴を駆使した学園生活を過ごしている。進学校では特に、彼のような存在が目立つものだ。本人の目の前でそんな失礼なことを考える。
 ややとんがった外見と雰囲気からあまり人を寄り付けないとされる彼は、硬派と言えば聞こえは良いが、単純に無愛想なだけとも言えた。淡白な口調がまたそれを強調して周囲に見せているのだろう。実際は喋るとそれなりに楽しい人で、且つ友人思いな奴だと彼の数少ない友人である支倉孝平も言っているくらいなのに。
「なに、そんなに私に脱走させたいの?」
「生徒会役員が学外逃亡ってのも面白い。スキャンダルだな」
「笑えないからねそれ。そんなことしたら後が怖いから」
「あの生徒会長が追って来そうか?」
 悪戯っぽい顔でそんなことを訊ねられ、むっとしながらも少し考えてみる。生徒会長――千堂先輩が追ってくる……それはそれで嫌だけど多分あの人は面倒だからと別の誰かに捜索を任すか、私の捜索を理由に外出許可を貰って前後で寄り道をしようとするだろう。何にしろ真面目に捜してはもらえないな。とりあえずそんなわけで先輩は怖くない。だがしかし。
「寧ろ征一郎の説教の方が…」
「なるほど、怖いのは保護者か」
「うるさい」
 想像するだけで怖いのは征一郎だった。生徒会書記、東儀征一郎は寡黙なイメージが強いがあれでも余裕で二時間とか説教し続けるし、男女共有スペースである談話室で始めるので辺りの空気が凍ってしまう。おかげで注目集め、こうやって生徒会では無い人間にまで征一郎が保護者だとかいう失礼な誤解をされているわけだ。
「で、司君はこれからバイト?」
「そんなところだ」
 彼は実家――北海道だ――の家計が苦しい為、アルバイトをしている。その事情を学院側は考慮し、平日外出許可を出していた。ちなみにバイト先は寿司屋だ。客から逃げられそうな風貌をしている彼はデリバリーオンリーで。
「お前は? 普段こっちに用無いだろ」
「生徒会のおつかい。ちょっと足りないものがいくつかあったから。あ、ねえ街まであれで乗せてってよ。あのチャリ……なんて言ったっけ」
「コスタリカ号?」
「そう、それ」
 私が大きく頷いて見せると、司君はあからさまに眉を顰めた。彼がチャリと呼ぶそれはまたの名をコスタリカ号といい、その正体は原動機付自転車である。当然そんなものに乗っているのは校則違反なわけで、この存在を知るのは限られたごく一部だ。
「アホか、違反だ」
「校則違反常習犯が何を今更」
「交通違反だ」
「え、うそ」
 思わず呟けば、彼は呆れたように息を吐いた。ポケットから原付の鍵を取り出し、キーホルダーを指で回しながら言う。
「原チャリの二ケツは立派な交通違反だぞ」
「知らなかった……」
「知っとけよ、世間知らず」
 そう言われても、普段原付なんて乗らないし。バイクは二人乗り出来た筈だから原付も可能だと思い込んでいた。司君はやっぱり呆れ気味にこちらを見下ろし、しょうがねえな、これでもお嬢様だもんな、と続けて零す。それはどういう意味だ。反論しようとするが、それを遮るように彼は言葉を継いでいた。
「しかしお前も生徒会のくせに結構無茶なこと言うよ。二ケツの違反を知らなかったとはいえ、一緒に原チャリ乗ろうとするなんて共犯もいいとこだぜ」
「うん? 知ってるのに黙ってる時点で共犯も同然でしょ」
「スキャンダルだな」
「そうかもねえ、まあ私の悪事がバレる時は君の悪事がバレる時なんだけどね」
「道連れか」
「言っとくけど、私が君を道連れにするのではなく君が私を道連れにするんだよ。そこのところ間違えないように」
「ああ、確かにそうだ」
 私の罪と言えば原付を見逃していることと、平日外出許可を貰ってる彼に時々買い物を頼んでしまうこと、今二人乗りを提案してしまったことくらいだ。つまり司君の色々が公になると芋づる式にこっちが危うい。逆に私から彼のことがバレる可能性は低いだろう。
「それに、生徒会がどうとか言うなら孝平君もそうだよ」
「いや、あいつはちょっと別だ」
「そう? ま、違反に寛大な人はそう多くないんだし、気を付けなよ。私も別に寛大な方ではないんだけど。悠木先輩だってその”チャリ”に勘付いてて見逃してくれてるんだから。現行犯だと言い逃れ出来ないしね」
 司君には結構お世話になってるからオマケ、と付け足す。まあこういうのは本当に全く良くないんだけど。ちょっと悪いことしてみるのも学院生活の醍醐味なんじゃないのかなーと自分で言い訳をしておく。目をまるくしていた司君は、やがて小さく笑って。
のそういうところは嫌いじゃない」
「ん、なにが? 私の寛大さ?」
「そういうことにしておく。……そうだ、手を出せ」
 何なんだろうか。言われるままに右手を差し出す。司君はごそごそとポケットを探ると、そこから取り出した何かを私の掌に落とした。赤色のビニールに包まれた小さいそれは、どこからどう見ても飴玉だ。
「チャリには乗せてやれないが、代わりにこれをやる」
「代わりに飴って」
「りんご味だぞ」
「いやいや」
「美味さは悠木のお墨付きだ」
「それつまり陽菜ちゃんから貰ったってことだよね? 人から貰ったものを偉そうにやるってことだよね?」
「そう言うな、四つも貰った。一つくらいいいだろ。りんご、好きだったんじゃないのか」
 そんなことを言われたら、何となく文句が言いづらくなってしまった。確かに林檎は好きだけど。なんでもりんご味食べるけど。林檎味のお菓子の買い物を彼に頼んだことがあるからそれを覚えていたんだろう。
 そういえば今日の昼休みの終わりに「ちゃんに渡そうと思ってた飴が無くなっちゃったの、ごめんね」と友人の悠木陽菜ちゃんに謝られた記憶がある。司君、そして恐らく孝平君にあげて、彼ら以外にも気前良く紅瀬さんや悠木先輩辺りにもたくさんあげて無くなってしまったのだろうなあ。私は昼休みクラスに居なかったから気にしてないんだけど、寧ろ陽菜ちゃんがちゃんと自身の分を確保出来ていたのかが気になる。ちょっと不安。
 再確認しようと司君を見上げると、彼は控え目に微笑んでいた。いつもと微妙に違う雰囲気に、息を呑む。これ本当にいいの? とぎこちなく訊ねれば、彼は小さく頷く。
「一つ教えておくと、悠木がお前にやれなくて残念がってた。俺は俺でりんご味貰った時から、にやらなきゃいけない気がしてたからな。これはあれだ、一種の使命感だ」
「なにそれ……いやでも、ありがとう」
「それは明日悠木に言ってやれよ」
 ずるいな、と思う。何かもう、言い回しから表情まで、全部がずるいと心底思った。
「んじゃ」
 そう短く言って、司君は原付を隠してある方へと去って行く。あの優しさを普段から発揮すれば絶対にモテる筈なのに、と数分前と似たようなことを思わず考える。何となく恥ずかしくなるのは彼がずるいからだ。いつもはあんな顔で笑わないからだ。最初からああやって笑ってくれたらこっちはここまで恥ずかしくなったりしない。りんご味の飴玉を握り締めたまま、私はその場にしばらく立ち尽くしていた。


(20100717)
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