6月8日、晴れ(食事編)

 バーベキューの始まりは夕方五時からだ。午後三時頃から有志による準備が始まり、材料の買出し等済ませた二時間後、無事バーベキュー大会を始めることが出来た。当日に参加を申し出る者もいて、予想以上の人が薄暗くなった公園に集まっている。皆、いい笑顔で鉄板で焼いた野菜や肉を頬張っているのが窺えた。修智館学院には学食の鉄人と呼ばれる、どこぞのホテルの名料理人が学食で腕を振るっており、生徒は常に美味しい食事を提供してもらえるわけだが、屋外で食事をするという機会はあまり無い。なので、彼らは開放的で新鮮さを感じているのだろう。受験を控えた者もいるし、いい気分転換にもなるというわけだ。日程が合わず参加出来ないことを悔しがっている者もいるらしく、この分だと第二回もあるかもしれないなとは推測する。
 網の上に置かれた大量の肉や野菜、魚介類を生徒会役員である支倉孝平と共に、焦がさないように注意しながら焼いていく。生徒会として慣れてしまったからか、はこういう場面になるとつい裏方に徹してしまうのが常だ。つまり先ほどから手伝いばかりで食べ物にありつけていない。手伝いもしつつ暇を見つけては自分の分も焼いて食べるべきなのだけれど、何分焼く量が多いので気を取られてしまっていた。同じく生徒会である千堂瑛里華は焼き鳥を焼いていたし(孝平曰く、貴重なビジュアルらしい)、生徒会長で目立ちたがりな千堂伊織は女子に囲まれながらものすごく楽しそうにステーキを焼いていた(これがエレガントな仕事なのかもしれない)。
「支倉君もも、ちゃんと食べてる? 手伝いばっかりしてると、あっという間になくなっちゃうわよ」
 瑛里華の言葉に、はごもっともですと言いたくなる。孝平は肉を確保していたようだが、それは悠木かなでがうっかり食べてしまっていたらしく。彼は彼女にすごく謝られていた。見張っていないとそういうことはよくありそうだ。
 そろそろ本格的に空腹感に襲われ始め、真ん中の方で焼いていた玉ねぎをそっと隅に移動させた。ここでやっと自分の分を確保することに成功する。その様子を見ていたらしい孝平が、やや呆れ気味に苦笑した。
「なあさん」
「何かな、孝平君」
「目の前にこれだけ肉が転がってるっていうのに、最初に食べるのが玉ねぎってどうなんだ」
「え、何か問題ある?」
「問題は無いけどさ、始まってからまだ何も食べてないんだろ? それじゃ身になんないぞ」
「はは、ありがとう。でも大丈夫」
 美味しそうに焼けている玉ねぎがとても魅力的に見えたのだから仕方無い。肉はまあ大量購入されているのでまだ大丈夫だろうと踏んでいた。
「ほら、これ焼けてるから食え」
 そう言った孝平が網の上で上手く焼けているカルビをの方に寄越す。カルビと孝平を交互に見やって、彼女は曖昧に笑った。
「でも孝平君もあんまり食べてないでしょう」
「俺は、かなでさんがハラミを焼いてくれてるから、大丈夫」
「ええと、じゃあ、ありがとう」
 折角なのでその厚意を有り難く受け取ることにした。満足そうに頷く孝平を一瞥し、カルビを食す。いい焼け具合だった。こういう気遣いをさり気無くしてくるのだから、彼はそこはかとなくモテるのだろう。生徒会役員になってまだ日の浅い孝平であるが、先日の体育祭では実行委員長として見事責任を果たし、生徒の信頼を得ている。その責任感、誠実さは女子の間で好感度を高めつつあると聞いたこともあった。
「さすがだなあ、孝平君は」
「ん、何が?」
「そういうところが」
「抽象的過ぎて何がなんだか」
「んー、つまり生徒会役員に向いてるってこと」
「よく分かんないけど、褒められてるんだよな?」
「勿論」
 首を傾げながらも孝平はありがとう、と笑う。は再び網に視線を戻した。確保していた玉ねぎを食べてから、焼け過ぎそうなピーマンを隅の方へ非難させてやり、ほっと一息吐いたところで――箸に挟まれた肉が視界のど真ん中を占領した。その箸の持ち主の方を恐る恐る視線を移せば、予想通りの男が笑顔で立っている。
「はい、あーん」
 伊織だった。
「何やってるんですか、千堂先輩」
「ステーキ焼きながら見てたけど、はあんまり食べてなかったみたいだからさ。こうやって無理矢理にでも食べさせておこうかと思ってね」
「必要ありません。ていうかちゃんと食べてますから」
「開始から一時間経ってありつけたものが肉一枚と玉ねぎ一つじゃ、ちゃんと食べているとは言い難いものがあるな」
 あんたどんだけしっかり見てるんだ、というつっこみが隣の孝平から入る。同意だ。思わず顔をしかめると、伊織はほら、と肉を更に近づけてきた。
「早く食べないと冷めちゃうよ、俺の特製ステーキ」
「孝平君にあげて下さい」
「先に言っておきますが、俺は遠慮しておきますよ」
「だそうだ」
「いや、でも先輩から貰うって」
 周囲の目が怖い。今だって十分過ぎるくらいに注目を集めている。ただでさえ女子に絶大な人気を誇っているのだから、こういう場での思わせぶりな言動は自重して頂きたい。さっさとステーキ担当に戻って欲しいというのがの正直なところだ。うーんと困ったように一度目を細めた伊織はそれからすぐに彼女の耳元に顔を寄せて、小さく囁いた。
「口移しをご所望だって言うなら、ここじゃ何だからそこの茂みででも」
「あーもう、分かった、分かりましたから!」
 勿論、伊織にそんな気がないのは百も承知だが、あまり躊躇ってこれ以上彼に思わせぶりな台詞を吐かせてしまうことはあまり賢くない。周囲にあらぬ誤解を受けるからだ。それをこちらが嫌がることまで想定して、彼はこんな行動に出ている。覚悟を決めるしかなかった。難しい顔のまま、は目の前の肉を一口で食べる。周囲がやや騒がしくなるけれど、見なかったことにする。後で友人にからかわれるのかと考えたら、胃が痛くなりそうだ。焼き鳥を焼いていた瑛里華と目が合うと、彼女は申し訳なさそうに眉を下げていた。こういう兄を持った彼女は大変だ。伊織に食べさせてもらったという事実は非常に癪に障るが、しかし食べ物に罪は無いし、事実とても美味だった。
「……美味しい」
「だろ? 後で焼きりんごも持って来てあげるよ」
「いえ、自分で取りに行くので先輩は焼くことに徹して下さい」
「そう。なら、後でおいで。支倉君、彼女がちゃんと食べるように見張っておいてくれ」
「はあ」
 こんなことが二度も三度もあってはたまらない。じゃあまた後で、とあっさり去っていく伊織の後姿を見つめながら、は急激な疲労感に襲われていた。
「嵐が去った…」
「大変だな、さんも」
「…心配してくれたのは分かるんだけど、やり方がね」
 少々強引ではある。そこが良いところであると同時に厄介なところだ。女子曰くそこがいい、らしいがにしてみればただ心臓に悪いだけだった。盛大に溜め息を吐き出していると、苦く笑った孝平が再びカルビを彼女の前の網へ移動させてくる。それを食しながら、もうこうなったらしっかり食べるしかないとは決意した。


(20100422)
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