6月8日、晴れ(準備編)

 六月八日。夏序盤と言ってもいい今日の天気は誰もが外に出たくなるような快晴だ。これからすぐに梅雨に入っていく季節とは思えない程の晴れっぷりは絶好のアウトドア日和で、空を見上げた東儀は思わず口元を緩めた。本日の修智館学院は寮主催のバーベキュー大会が行われることになっており、彼らにしてみればこの天気は願っても無いものだ。現在、晴れ渡った空の下、開場である公園に集まった生徒たちが嬉々として準備を始めている。皆私服姿とあって、いつもとは雰囲気が違って見えた。
 このイベントの企画立案者は六年生の寮長兼風紀委員、悠木かなで。彼女曰く、皆で一緒に暮らしているのだから皆で一緒に楽しみたい、とのことでこのイベントを企画したらしい。常に明るく、周囲を楽しませることを喜びとしている彼女らしいなとは思う。
「晴れて良かったな」
 火を起こし燃やす為の新聞紙をが運んで来た時、軍手を装着する従兄妹――東儀征一郎が何気なく呟くのを聞いた。独り言であったのか、それともこちらに話しかけていたのか分からないそれに一瞬間を置いてから、彼女は「うん」と相槌を打つ。本当に僅か、彼が口角を上げたのを彼女は見逃さない。彼女の従兄妹は、考えていることが表に出ないタイプだった。クール、無愛想を地で行く青年で、の知る限りでここまで眼鏡が似合う人はいない。その性格と、美形と言い切って差し支えない顔立ち、加えて腰よりも長く、一つに束ねられた銀髪がどことなくミステリアスさと近寄り難さを醸し出していた。実際は、表情の変化が乏しくややクール過ぎる面があるだけの妹思いな優しい青年であるのだが。
 寮が主催でのバーベキュー大会は学院にとっても前代未聞のイベントであり予算を多くは割けず、しかし参加費を多く取りたくないというかなでの要望は当初非常に難しかった。当然、企画段階では財務である征一郎も難しい顔をしていたのだが――結局、生徒会にバックアップを提案したのは彼だ。バーベキューで使用する道具や燃料は生徒会で調達することになり、イベント好きな生徒会長、千堂伊織の助力もあって今日のバーベキュー大会開催に漕ぎ着けた。一番の功労者がかなでであるのなら、影の功労者は征一郎だろう。
「優しいね、征一郎」
「何がだ」
「なーんでもない」
 何を考えたのかという詳細を本人に告げたところで特に意味を為さないことは長い付き合いから知っている。彼にとっては誇ることでも自慢することでもないのだ。だったら、わざわざ持ち上げることもない。新聞紙はそこに置いておいてくれ、と言われ、芝生に抱えていたそれを置いた。
「炭、もっとあった方がいい?」
「いや、これで何とかなるだろう。それより、伊織は何処へ行った? 火を起こすのを手伝わせたいんだが」
「私が手伝おうか?」
「駄目だ」
 あまりの即答加減にはむっとする。遠慮という雰囲気では無く、寧ろ拒否に近い物言いだ。火を起こす手伝いくらいなら自分にだって、と口を開きかけるが、それを征一郎は軍手をはめた手で制した。
「危険だろう」
「手伝いだけだよ」
「火傷したらどうする。服も汚れる、少し離れていた方がいい」
「えー」
 不満気な様子の彼女を視界から外し、彼は辺りを見回している。目的を発見したらしく、動きを止めた征一郎の視線の先を追えば、そこには悠木かなで、支倉孝平と楽しそうに話す伊織が居た。彼は脇にダッチオーブンを抱えている。「女子の為に焼きリンゴを作りたいな」と伊織が数日前から張り切っていたことを思い出した。シャツにベージュのジャケットを着こなし、今日も今日とて彼は女生徒の注目を集めることだろう。注目されるという点で言えば、黒のワイシャツがよく似合っている征一郎も良い勝負であるけれど。色のせいなのか本人の雰囲気のせいなのか、征一郎の方が大人っぽく映る。彼らとは毎日顔を合わせるが、よそ行きの私服姿を見るのは久しぶりな気がした。
 首脳会議がどうだとか、場にそぐわない意味不明な会話をかなでと繰り広げている真っ最中の伊織に、征一郎が声をかける。その表情はとても冷めていた。呆れているらしい。
「伊織。うろうろしてないで、火を起こすのを手伝ってくれ」
「はいはい」
 返事はすぐだったが、その顔からは不満がありありと見て取れた。視線を逸らしながら、伊織はぼやく。
「……火起こしも悪くないが、俺はもっとエレガントな仕事がしたいな」
 文句を言いながらも伊織はこちらへ向かってきていて、その背後で孝平とかなでが苦笑していた。変に大人気ない生徒会長だ。征一郎から軍手を受け取った伊織は、残念そうに眉を下げる。
「地味なんだよねえ、火起こしって」
 派手とか地味とかそういう問題ではない、というつっこみは呑み込んだ。彼の言動に一々つっこみを入れていたら切りが無い。それは征一郎もよく知っているらしく、彼もあえてのスルーを決め込んでいる。何となく乗り気では無い様子で軍手をはめる伊織を見やりながら、は口を開いた。
「エレガントな仕事がしたいんでしょう? じゃあエレガントに火を起こせばそれで良いじゃないですか」
「それはまた、無茶言ってくれるね」
「千堂先輩がやればどんな動作でもエレガントに見えますよ。ていうか現に炭を持ってる征一郎が優雅に見えて仕方無いんですけどね。我が従兄妹ながら美しい」
 何のことだかとでも言いたげに征一郎は息を吐く。彼とを交互に見比べ、伊織はにやりと口の端を上げて見せた。彼女の両肩に手を置くと、笑顔で顔を寄せてくる。
「何、はそんなに俺の勇姿が見たいのか? 仕方無いねえ、そこまで熱望されたら期待には応えてやらなきゃいけないじゃないか。よし、俺のエレガントな火起こし姿をじっくりと、」
、矢張り炭をもう少し持って来てくれ」
「分かった」
「気を付けてな」
「俺の勇姿は!」
 自らの肩から伊織の手を外し、はにっこりと笑いながら言った。
「心の目で見てますから、しっかり火起こしお願いします」
 走りながら「征一郎に押し付けちゃ駄目ですからね」と念押しも忘れない。仕事はきっちりやる人だが、地味な仕事に関してはけしかけないと動きが悪いのだから困ったものだ。昔からああいう人だった。千堂伊織という男は、年齢は優に百歳を越えているだろうに、そういう事実を全く感じさせない。若々しいと言っていいのか、単に大人気ないのか。恐らく両方だろうなと思いつつ、は走る。「征のいじわる」「なんのことだ」というやりとりがあったことを彼女は知らない。
「俺、最近に軽くあしらわれる回数が増えた気がするんだけど、征はどう思う?」
「良い傾向なんじゃないのか」
「……それはどういう意味かな」
 満足そうに笑った征一郎に、伊織はやれやれと目を細めた。


(20100416)
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