そうしたかったからしただけ
「やあ、火村。こんばんは。元気?」
「……は?」
五月五日、こどもの日、夜の七時過ぎだった。喫茶店でアルバイトをしている火村夕を待ち伏せ、彼が出てきたところを笑顔で迎えた私に相手は盛大に顔を歪めて見せた。友人兼クラスメイトに会っていきなりそんな態度を取るとは、なんて奴だ。とは言っても、火村にしてみればバイト終わりの疲れたところをクラスメイトに押しかけられるなんて正直意味が分からないだろう。
「ごめん、訂正する。バイトお疲れ、火村。これが先だったね」
「いや、そういう問題じゃないだろ。何でお前が此処に居るんだ」
「何で、と言われても」
「通りすがりとストーカー、どっちだ」
「それはまた適当で極端な二択だなあ」
俺は疲れてるんだよ、と本当に疲労困憊の顔で火村は言った。昼からずっと働いていたのだろうから、無理もない。ゴールデンウィークは絶好のバイト期間であり、恐らく彼は休み返上で毎日出勤していたのだろう。それはこのゴールデンウィーク最終日も例外ではない。そして帰宅後は、学年トップを維持し続ける為に勉強する。ああ、これは今に始まったことじゃないか。火村は一年の時からずっと、こんな余裕の無い生活を続けている。
火村夕は特待生だ。成績優秀者の学費を免除するという制度だが、特待生はその良い成績を維持し続けなければならない。加えて、両親を亡くしている彼は学費を免除してもらうだけでは当然生活出来ず、バイトにも勤しまざるを得ないらしく。苦学生とは、こういう人のことを言うのだろうな。
「待ち伏せはストーカーに分類されると思う?」
「ストーカーが取る行為の一つであることは間違いないだろうな」
「じゃあ私もついにストーカーデビューか」
「どうしてそういう方向に話が転がるんだよ、お前らは」
彼の言う”お前ら”に含まれるのは私を除けば後は久瀬、凪というところだろうか。いや、寧ろ久瀬だけ? 根本的なところから何かがずれている芸術肌な彼らと一緒にされるのはちょっと複雑だ。私は一応感性だけで言えば一般人だし。
「何でも良いが、俺は早く帰りたいんだ。待ち伏せするくらいの用件があるなら簡潔に言ってくれ」
「じゃあ、帰りながら話をしよう。それならいいでしょう」
「は? お前の家は逆……ああもう、勝手にしろ」
諦めたように溜め息を一つ吐くと、火村はアパートへ向けて歩き始めた。私も、その隣に並んで歩く。夜七時ともなると空はすっかり暗いが、街灯と周囲の民家から漏れる明かりのおかげで不気味には感じない。
「それで、何の用だ」
「単刀直入に訊くけど、火村って今日が誕生日なの?」
「……まさかそれだけを訊きに来たのか?」
「火村が答えてくれたら私も答えるよ」
火村は目を瞬かせた後、面倒そうに「そうだ」と短く答えた。それで、だったら何だよ、と不機嫌全開で付け足す。疲労しているからか、普段に輪をかけて不機嫌だな。ていうか怒ってる?
「そっか、それは良かった。久瀬が嘘吐いてたらどうしようかと思った」
「久瀬?」
「うん。久瀬が、今日は火村の誕生日だったなって言ってきてね」
「……あいつはまた余計なことを」
眉を顰めた火村は恐らく久瀬に呆れているのだろう。久瀬が余計なことしか言わないのは私も認める。いい笑顔の幼馴染、久瀬修一の顔を思い浮かべ、苦笑する。今頃楽しくデートしてるんだろうな、昨日とは違う女性と。ヴァイオリンの腕はともかく、あいつにあの端麗な容姿を与えたのは失敗だったね、神様。
「私としては火村の誕生日を今日が終わるまでに知れて良かったけど」
「俺としては久瀬の口の軽さをどうにかしてやりたいところだな」
「今回はそれに助けられたわけですけどね」
軽く睨んでくる火村の視線を受け流し、改めて何をどう言えば良いのかを考える。正午、折角の連休の最後だし久瀬と遊ぶのも悪くないかなと暇潰しに彼を誘いに隣の家へ行けば、「今日も先約があるから無理だな」とあっさり断られた。も、ってなんだも、って。この女たらしは連休中、毎日女性をとっかえひっかえしていたということなのか。…まあそれはいい。その久瀬が、私の誘いを断った直後に「そういえば今日は火村の誕生日だったな。どうせ暇なら祝ってやったらいいんじゃないか?」と言ってきたわけで。いや、祝ってやればって、火村は連休ずっとバイトだって連休前に言ってただろうにという私のつっこみを華麗にスルーしながら久瀬は誰かとのデートへ出かけて行った。今思えば、私を不機嫌にさせず気を逸らす為の作戦だったんだろう。怪訝そうにこちらを見てくる火村を見つめ返しながら、そう結論する。
「それにしても、誕生日一つバラされたくらいでそんなに不機嫌になる人初めて見た。そんなに個人情報守りたいの? 秘密主義? ミステリアスさを演出?」
「バカ、別にどれでもねえよ。お前に知られるのが嫌だっただけだ」
「……うわ何それちょっと傷付く」
あ、と何かまずったとでも言いたげに彼は一瞬顔をしかめるが、すぐに眉を下げて再度溜め息を吐き出す。
「はこういうことを気にするタイプだ、絶対変な気を回してくるだろ」
「さすが火村、よく分かってるねー」
「前にも言ったが、そういうことをされるのは困るし、迷惑だ」
きっぱりと迷惑と言い切られたが、それはいつものことで、火村はこういう奴だ。同情されることを嫌うし、人からの施しを受けることも断固拒否する。プライドなのか主義なのか知らないけど、貰えるものは貰っておけばいいのに、な私とは正反対の思考だ。
火村の頑固さは一年の時に十分熟知したので、普段から変に世話を焼いたりはしない。ぶっちゃけ焼きたくはなる上に、つい見ていられなくなる時もあるけども。そういう部分を火村は感じ取って鬱陶しいとか思っているんだろうな。
「悪いね火村、今日だけはその”困るな、迷惑なんだ、ふはは”は通用しない!」
「ふははって何だ」
「今日は、誕生日プレゼントという大義名分を利用し、火村に”他人からの施しは受けないぜ”とか言わせずに色々な施しを押し付けることが出来るいい日なわけだよ!」
「帰れ」
速攻で拒否だった。理由が付けば受け取るとかそういう問題じゃない、と火村は言う。まあそうだろう。誕生日という理由だけで彼のスタンスが変わるとは思っていないよ。そんなに素直だったら、私も苦労はしないんだけどなあ。
「真面目な話、誕生日を祝うことまで迷惑、で片付けられるとそれこそ困るよ」
「……それは」
祝うのはこちらの自由だ。それに関しては素直に祝われて欲しいところである。
「おめでとうって言うくらいは良いじゃん」
「お前の場合は普通におめでとう、じゃ済まないだろ」
「よく分かってるねー」
「久瀬とは別のベクトルで面倒な奴だということはよく知ってるさ」
「それはどうも。まあそうは言ってみたものの、本当におめでとう、で済ませる気で来たんだけど」
火村が目をまるくし、こちらを見つめた。意外そうというか、嘘を見出そうとしている風にも取れる目だ。こんなことで嘘なんて吐かないんだけど、失礼だな。
私は今日、火村に誕生日おめでとう、と一言贈る為だけに待ち伏せていた。彼のことだ、自分の誕生日なんて頓着せず、あまり他人に教えていないのだろうと推測するのは簡単だ。つまり、祝ってくれる人がいない。久瀬に関して言えば火村の性格をよく知ってるあいつのことだから態々祝う為だけに火村を訪ねたりはしないし、精々明日学校でさり気無く「おめでとう」と言うくらいで済ますだろう。彼はそれでいい。でも、私はやっぱり誕生日とは当日に祝われるべきだと思うわけで。尚且つ、彼に心苦しさを与えるのはこちらとしても本意では無く。だからプレゼントは用意せず、ただお祝いだけを伝えに来た。祝ってくれる人がいるんだよ、と教えに来た。いつも不幸を背負ったような顔をしてる彼に。それすら、火村にとっては大きなお世話、だろうけど。自己満足なのは知ってる。
不意に立ち止まった私を、見やって、彼も足を止めた。こちらを見る瞳からは少しだけ動揺が窺える。改めて見つめ合ってしまうと気恥ずかしいなと感じつつ、私は笑った。
「お誕生日おめでとう、火村夕くん」
怒ったように顔をしかめたり呆れたように息をついたり、軽く百面相していた火村はやや間を空けて、口を開いた。
「……ありがとう」
「お、素直だ」
意外だ。「お前なんかに言われても嬉しく無い」くらいは覚悟してたんだけど、あっさりとお礼の言葉が聞けてしまうとは。火村は僅かに口元を緩めていて、彼のこんな表情を見るのは初めてかもしれないなと思う。しかしすぐにその表情は引っ込み、彼はいつもの難しい顔になる。
「けどな、そんなことの為だけに夜にわざわざ裏口で待っていたということに関しては色々と言いたいことがある」
「ストーカー反対?」
「危ないってことだ。人気が少ないだろ、あの辺りは」
考え無し、と言われた。実にその通りだ。心配までしてもらってなんというか、申し訳ない。だからバカなんだとか、もっと後先考えろとか、何故かその場で五分程説教を受けた。釈然としない。が、心配させたことに変わりは無いので、「ごめんなさい」と素直に謝っておくことにする。すると直後に、不意打ちで即頭部を軽く小突かれた。いや、そんなに怒らなくとも。
「感謝はしてるよ。気持ちは有り難く受け取っておく」
そう言った火村はもう自宅へ向けて歩き出しており、私は思わず立ち止まったままその背中を数秒間見つめてしまった。一応、喜んでくれたのだろうか。そうだったらいいな、うん。――自己満足に付き合わせてごめん、火村。心の中だけでひっそりと謝ってみた。
その後、Uターンで家に帰ろうとしたら火村に引き留められ、何故か彼のアパートまで連行された。ちょっと待ってろ、と部屋の前で待つこと五分。やっと火村の部屋に通されて二人でお茶を飲むという妙なシチュエーションに首を傾げていると、二十分後に人が一人訪ねてきた。その人は、玄関で出迎えた火村に不満げな声を上げる。
「俺はこいつの保護者じゃないんだけどね」
「似たようなもんだろ」
「なんで久瀬……」
そこには昼に火村の誕生日を教えてくれた久瀬修一が立っていた。何でそうなる。
「一人で帰すわけにはいかないだろう。俺は疲れてるから、逆方向のお前の家とこのアパートを往復する元気は無かったからな。久瀬を呼んでおいた」
「呼ばれました。って、火村、お前の代わりに俺が往復する破目になってると分かってるか?」
「いい運動だな」
「必要ないよ、俺は運動には事欠かな…うわ、こら、人の家の座布団投げるな」
「最低」
デートはもういいのか。そう訊きたかったけど、それを口にしたらまるで妬いてるみたいに取られて面倒なので止めた。火村ほどじゃないにしろ、彼も日中出かけて疲れているにも関わらず態々迎えに来てくれたという事実はその、嬉しくないわけじゃない。ここは感謝するべきだろう。
「さあ帰るぞ、」
「うん。ありがとう、久瀬。火村も」
「ああ、また明日な」
火村に見送られながら、アパートを後にしようとする。ふと何かを思い出したように足を止めた久瀬は、火村を振り返った。いつもの気軽な調子で、言葉にする。
「あ、そうだ火村よ」
誕生日おめでとう、と。このタイミングで言われるとは思わなかったのか、火村はそれに拍子抜けした様子だったが、少し笑って頷く。久瀬は手を振って見せてから、すぐに踵を返した。私は隣を歩く久瀬を盗み見ながら、唸る。なんか、うーん。
「久瀬、ずるい」
「はあ?」
首を傾げる久瀬に、なんでもない、とだけ返しておいた。