かわいいひと
「あんたって、本当に勝手な奴よね」
「朝霧ほどじゃないでしょう?」
「あいつは規格外」
腰よりも長い桃色の髪を揺らして、そのお嬢様は腕を組みながらふんと鼻をならす。彼女はその仕草一つで嫌味よりも高貴さを印象付ける程度には容姿端麗であり、気品をも窺わせる正真正銘のお嬢様だ。
そんな超一流の資産家、二階堂家のご令嬢は宮川を前にして見るからに不機嫌な様子であった。その原因の一端は自身にあるとは自覚しており、彼女の機嫌をどう取るべきかを先程――二階堂麗華に呼び出され彼女の部屋を訪れた瞬間――からずっと思案していた。麗華の不機嫌の理由は一点。彼女の与り知らぬ内にの二階堂家での居候が決定していたこと。勿論、二階堂家当主である二階堂源蔵には了解を取っていたわけだが、なにしろ急なことだったので彼の娘たちには事後報告となってしまった。一見、特に問題無いようにも思えるのだけれど、麗華にとってはそれがどうにも気に食わないらしい。
「こういう大事なことは、一番に私に話しておくべきじゃないの?」
「いや、源蔵様最優先かと」
「あんたね……婚約者とその父親、どっちが大事なの」
「そんなこと言われてもな、物の順序を間違えたとは思っていません」
当たり前のように持ち出された婚約者という単語には僅かに片眉を上げた。こういう場で引き合いに出すべきものではないと言うか、出されても困る。その単語は互いにとっては何の効力も持たず二人は相手を縛れる関係でも無い筈なのだが。結局、婚約者と言うよりも単純に幼馴染としては彼女に弱いので、あまり強気な態度に出られない。が麗華に弱いのと同様に、麗華もまたに弱いことを彼がよく知っていることは彼女に秘密だ。
二階堂麗華と宮川の二人が婚約者だと知っているのは、本当に一部の者だけだった。婚約者と言っても、本当に形だけであり互いに相手が現れればすぐにでも解消出来る程度の婚約である。見合いの話が多くなる年頃である麗華を心配した父、源蔵から仮の婚約を持ちかけられたのが最初だ。麗華もこの案には納得しており、自身も見合い話しが多い現状に反してしばらく結婚する気は無かったので特に断る理由も無く承諾した。つまりこの婚約者、というのもあくまで形だけなのだ。体よく見合いを断る理由に過ぎず、決して互いの行動を制限するものにはならない。
「同い年の少年二人との同居が既に決定しているんだから、彼らよりちょっと年上のお兄さんが一人増えたところでどうということは無いと思いますけどね」
「問題はそこじゃない」
「と、言うと?」
「私に一言も相談が無い内に引っ越してくるし、いつの間にか勝手に憐桜学園の養護教諭にまでなってるし、あんたの行動は突飛なのよ」
突飛、と言われてああ確かに彼は納得する。自身のやっていることは総てある人の為のものだ。行動理由がある。ただしそれは自分と自分の事情を知っている者にしか分からないことで、そうでない者の目には突飛としか映らないだろう。
「そこはほら、俺達婚約者ですし。一緒に住んでた方がそれっぽい」
「都合の良い時だけその立場を持ち出すのね」
「それはお互い様でしょう」
苦笑しながらそう指摘すれば、麗華は言葉を詰まらせた。まさか追い出されはしないだろうが、もし出て行けと言われても頷くわけにはいかない。はここで朝霧海斗を監視しなければならないからだ。ここで彼女に追い出されては、親を通して二階堂源蔵に同居を頼み込んだ意味が無くなる。親同士が懇意にしているおかげでそう手間なことではなかったけれど、ここで娘が本気で嫌がれば源蔵がどう出るかはにも分からない。
麗華の次の言葉を慎重に待っていたが、彼女は諦めたように嘆息しただけだった。表情はむっとしたままで、しかし確かに「仕方無いわね」という彼女の呟きが耳に入る。
「麗華様」
その呼びかけには応じず、麗華はこちらを睨むように見やる。ほっとしたような顔のに反して、彼女のそれは険しい。
「言っておくけど――学園では他人の振りよ」
「ああ、それは勿論」
ややこしいことになりそうなのでそこに関しては同意だった。笑顔で頷くと、麗華の眉間の皺が深くなる。
「……残念がりなさいよ」
「当然、学園で麗華様と話せないのは残念です」
思ったままを告げると、麗華は驚いたように目を瞬かせてから、さっと目を逸らした。分かりやすい動揺である。照れてるんだな、と分かったがは思うに留めておく。
「あ、あと、それ止めなさい」
「それ?」
「麗華様って呼ぶの、止めて。普段そんな呼び方しないくせに。敬語も」
「ここ、麗華様のお屋敷だから」
「だからって……!」
「でもまあ」
一度言葉を切ると、は麗華の手を取る。びくっと肩を震わせた麗華に愛しさを覚えつつ、彼は自身の手の中にある彼女の手の甲に唇を落とした。
「可愛い婚約者からのご命令なら――聞くしかないと俺は思うよ、麗華」
当然――顔を真っ赤にした麗華から殴られることは想定済みで。直後、バカ、という叫びと共に振り下ろされる拳をは瞬時に避けることが出来た。そこから続く彼女からの文句を右から左に流すことも可能だが、は敢えてきちんと聞くことする。同居を決めるにあたっての可愛い幼馴染兼婚約者からの洗礼だと思えば、説教すらも愛しいものだった。