ずるい大人
 藤井蓮の恋人は、ずるい大人だった。一緒に過ごせば自分はどうあがいても子供だと思い知らされるくらいには。
 いいよ、口で。と、彼は言った。ちょっと考えさせて下さいと蓮は好奇心を理性で押さえ込んで待ったをかけてみたものの、「何を考えるんだ」と真っ当な返答を食らったのち、呆気なく陥落した。やって欲しい顔してた、とは恋人の弁。
「きみは、早いな。勃つの」
「……誰と比べてんのか知りませんけど、これ俺のせいじゃないんで」
「拗ねるなよ。おれのせいってことに、しといてやるから」
 くすりと笑って、男が蓮の下着から取り出した竿の先端に口付けた。そうだよ、あんたのせい以外のなにがあるんだよ、という負け惜しみじみたそれを蓮は呑み込んだ。出来過ぎた容姿の男が、自分の前に跪いて、自分のものを銜え込んでいる。それだけで、あまりにも、下半身に悪い光景だった。相手は男なのに。
 本来人に跪くような男ではない、はずだ。誰かに奉仕するよりもされている方がしっくりくる。穢されるよりも穢す側の方がよほど似合いそうな、一貫して不遜な青年だ。どこへ行っても、誰に対しても。うつくしく、揺るがない。蓮のよく知るこの教師は、決して、唾液を口の端から零してこちらをいやらしく見上げるような男ではなかったのだ。決して。
 一度口を離した男は、糸を引く唾液ごと蓮自身を右手で包むと、上方を擦り上げ、もう一度そこにまるで愛しいもののように唇を押し付けた。ちろりと見せるように出した赤い舌に、先端の口をくすぐられて、もどかしい刺激に身を捩りそうになる。熱が上がりそうだ。
「……っ、う……、あー……くそ」
「おい。なんで目を逸らす」
「休憩させてください」
「座ってるだけのくせに。何の休憩だ、クソガキ」
「いや、なんか、ちょっと。あと出来れば黙っててくれ」
 今どんな暴言を吐かれようと逆効果だと知って欲しい。口の悪さも態度の悪さも、全部現状とのギャップに変換されてしまうので。蓮は ソファの背もたれに体重をかけ、口を片手で塞ぎ、天井を仰いで一度気持ちの休憩をしようとした。身体的な快感も大概だというのに、蓮は相変わらずあの教師が自分の膝の間でまるで従順な猫のような顔をして、自分を悦ばせようとする行為に耽っているという視覚的な刺激と事実に、滅法弱い。
 だって、冗談みたいで、妄想みたいだと思うから。 正直こちらを押し流すような快楽の波に耐えるのに手一杯、しかもこのシチュエーションだけで酔えてしまって余裕の無さが二割増しな辺り本当に自分は参っていると自覚した。意地の張り方がわからない。かっこ悪いところは見せたくないのに、どうしたって経験の差は如実に出てしまうところだ。どうしようもないのだが。まずなんでこいつこんなに上手いんだよ一体何人にしてきたんだという無粋な問いかけをそのままするほど、空気が読めないつもりはない。あまり考え過ぎても折角上がった気分が落ちそうだったので、今は忘れることにして。
 恐らく右手に必要以上の力を篭められたのだろう。突然の心地よくない痛みに、背中は浮き上がったし、口からは変な声が転がり落ちた。
「ちょっ──さすがに萎える!」
「生意気だったから。一旦萎えさそうかと思って」
「あんた鬼ですか」
「鬼かもね。きみの、態度次第では」
 ちゃんと見てろよと、彼は呟いた。ひんやりとした指が先走りの汁を絡めながら蓮の裏筋をつつ、と焦らすように辿り、その根本へとまっすぐに進んでいく。ただ弱々しいだけの接触に、息を呑んで耐える。その指が静かに止まったのは、陰嚢まで辿り着いた時だ。玉の片割れを指で軽く弾きながら(やめてほしい)、男は薄く口の端を上げた、いつもの笑い方をする。
「じゃないと。ここが、どうなっても知らないぞ」
「いや恐ろしいこと言うのも大概にしろよあんたも男だろ!」
「男だからだよ。痛いのと気持ち良いの、どちらがいいんだ。なあ、藤井」
「……おまかせで」
「潰すか」
「おい」
「うそ。どろどろにしてやるよ、これ」
 そうして陰嚢を手で弄び続けるルカの舌がやや萎えかけた蓮の竿の上を這い回り始めた瞬間、すぐにまた勃ち上がってきた自分の身体は少々素直過ぎると思う。羞恥に、下だけでなく顔にも熱が溜まりそうだ。唾も体液もいっしょくたに飲み下し、時折熱を含んだ息を漏らすその姿に、興奮しないわけがなく。宣言通り、蓮のそこはどろどろだった。
「……ん、あついな」
「そ、すか……」
「余裕ないね」
「あんたが、ありすぎるん、ですよ、せんせい」
「名前で」
「なっ……」
「きみも、名前で呼べ、蓮」
 名前で呼ばれた。名前で呼ぶことを許可された。たったそれだけのことだ。でも、そんなこと、今言われたら。
「……ぐ、なんで、いま」
「あんたもう黙っててくれ、頼むから」
 こんなの、元気になるのも仕方ない。最早言い訳するのも情けなかった。蓮の感じるところを的確に探り当てつつ、舌が再び上を目指すように徐々に上がっていく。イイところに唇が当たる度に、舐め上げられる度に、玉が彼の手で転がされる度に。頭がどうにかなりそうだ。上目遣いにこちらを見つめる碧い瞳に、情欲が宿っているのを見つけたら、今キスをすることも抱きしめることも出来ないことが悔やまれた。だから、代わりに。
「────」
 名前を呼ぶ。ん、と返事なのか何だかよくわからない相槌だけを返して、彼は蓮から搾り取るかのようにそこに吸い付く。ナカに挿れているみたいな錯覚を起こす、強い快感に、開けた口から上擦った声が出た。ほぼ無意識に、男の頭を掴む。 全部吸い尽くされてもいいと思った。どこまで堕ちてもいいと、おもった。そして。
 間もなく先端から吐き出された精液を、彼は当たり前のようにすべて飲み干した。はあ、と疲労の滲んだ息を吐き出し口元を拭う姿すら様になっていて、あれだけ穢れた行為をしていたのにも関わらず、彼への印象は結局うつくしい、だ。
「つかれた。手の方が楽だ」
「先生、ムードって考えたことあります?」
 ただし、あまり空気は読めない。セックスの後にさっさと煙草を吸い始めるタイプだ。べつに余韻に浸りたいタイプでもないしピロートークがしたいわけでもない。けれども、彼のような男を見ていると、そういうタイプの男に文句を言いたくなる女の気持ちが十分の一くらいは理解出来そうな気になった。テーブルの上の煙草を手に取り、彼はすぐに腰を上げた。
「あつい。煙草吸ってくる、ベランダで」
「え、まさか終わりですか」
「気持ちよかったろ」
「嘘でしょう、俺先生に触ってませんし」
「頭触ったろ」
「小学生みたいな返しやめましょうよ」
 細い手首を掴んで、強請るように見上げた。ただ抜いて欲しかったわけじゃないことくらい、彼はわかっているくせに、たまに突き放して見せる。からかうように、試すように。冷ややかな目が、呆れたように、それでいて穏やかに細くなった。
「戻ったら、な。触らせてやる」
 だからいい子で待ってろ、と蓮の髪を一房撫でるように触れて、彼はベランダへ出て行った。俺は子供か犬かよとつっこむこと自体が子供じみているように思えたので口を噤む。嫌ではないのだが、いつまでもこの調子というのもプライド的にいただけない。残念ながら、今暫く彼の手の平で弄ばれそうな気配があるけれど。あれはずるい。どうしようもない、だめな大人だ。そういう大人の手で、蓮もまた"大人"になっていく。

20170731


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